野狐消暇録

所感を記す

社会人になって思った事

社会人になって5,6年経過した。その間に色々な事があった。性格は変わらないように思うけど、考え方は大分変わったように思う。

特に、歴史や政治に関心を持つようになったのが、大きい。学生の頃は哲学や詩に関心を持ち、どちらかというと現実に対する関心が薄かったと思う。

社会人になると、自分がどうしていきたいか、自分自身で考える事になった。学生の頃は、いわば車の助手席に座っていたが、社会人になり、自分で運転する事になったのだ。周りの景色を眺めて、空想を弄ぶ余裕がなくなったのである。

そんな訳でハンドルにしがみ付き、周囲を睨みながら運転を続ける事幾星霜、といっても5,6年の間だが、いわば修業期間のようなものを過ごした。

修業期間というのは、自分の職業がプログラマだったので、職人修業のようなモノが必要だったためである。

そうは言っても、やっていた仕事は様々だった。大規模開発の要員として、企業を回り、テストをしたり、テストを書いたり、設計書を書いたり、プログラムを実装したりした。

設計、実装、テストは開発の仕事だが、開発の仕事以外にも、障害対応の仕事を少しやったりした。

職場で覚えたのは仕事のやり方であり、技術は現場と自分の読書を通して少しづつ勉強した。

仕事についた当初は、やっていけるのか非常に不安であり、自信もなかったが、年齢的にも、この仕事でなんとかするしかないと決めていたため、身の振り方に迷いはなかった。仕事があれば一生懸命やり、仕事が暇になれば勉強をして、そういう生活を続けていけば、4,5年のうちになんとかなるだろうと思った。特殊な、難しい仕事を別にして、ごく一般的な仕事を考えた時、5年間一生懸命にやって、なおできるようにならない仕事というのは、ないだろうと思ったのである。

この考えは僕に於いて正しかったため、最近は仕事にも少しづつ希望が持てるようになり、同時に仕事がとても忙しくなった。

根気の良さに、ついに僕の無能力も音を上げたという事である。

根気は能力のなさを超えて、人に仕事をさせるから、人もこれを信じたら良い。

それはそれとして、話を元に戻したい。

社会人になり、自分は唐詩の世界に惹かれるようになった。急に詩の話になるが、僕は詩を読むのが好きなので、詩を通して社会人になって変わった事を書きたい。

唐詩というのは、言うまでもなく中国の詩で、唐という時代に書かれた詩を言う。この時代は非常に張りきった、若々しさのある時代だったらしい。

唐詩と良く対比されるのが、宋詩である。こちらは哲学的であり、楽観的である。唐詩に見られるような激しい情熱がなく、静謐な詩風である。

中国文学者の吉川幸次郎が『宋詩概説』に於いて「唐詩は酒、宋詩は茶」と述べている。それぞれの詩風を端的に示すもので、無論ここまで短くしてしまうと、当の詩を読まない者に説明するには短すぎて、何も伝わらない事になるが、実際に読んだ後で聞くと、なるほどなと思う。

宋詩には宋詩の情熱があって、別にのんびりした世界という訳でもない。しかし、全体的に悲憤慷慨の情に欠けていて、好き嫌いが分かれる。

あまり腹を立てたりしないのが宋詩だ、というのが、僕の理解である。亀は己の甲に合わせて穴を掘るとかで、止むを得ない次第だ。

それでなぜ唐詩と宋詩の違いの話を持ち出したかというと、自分の学生時代は宋詩的な世界を生きていて、社会人になって唐詩的な世界を生きるようになったと思うためである。

詳しく説明する。

学生時代、茶道研究会に所属し、しょっちゅうお茶を点てては喫していた。

これがそもそも宋詩的である。だって、宋詩は茶なのだから。

平静なる事を尊び、哲学を論じ、文学に親しみ、浮世離れした生活を送っていた。

しかし、社会人になると、暇はないし、文学も読まなくなり、平静でいるにはあまりにも色々な事が起こる。

そうした種々の事柄に対処しつつ、自分の将来も切り開く必要がある。

いわば貴族的にのほほんとしている訳にいかなくなったので、自ずから宋詩的世界を離れる事になった。

つまり若々しく生きるしかなくなったのであり、唐詩の世界に心惹かれるようになった。歴史に対する関心が高まるのも自然の成り行きである。歴史は人が何事か行い、その結果をまた歴史に於いて受ける場である。将来に望ましい結果を得ようとしたとき、今何をしたら、どういう結果が得られるか考える。これは個人に於ける歴史を考える事である。また、こうした志向は政治に対する関心と期を一にする。理由は歴史の場合とほとんど変わらない。あるいは論語を読んでみたくなる。論語は政治と社会人、また人間性の書だと思う。

そんな訳で、自分の関心が社会人になって変わり、学生時代と合わせて、ふたつの世界を経験したような気がする。しかしいずれの世界においても、僕の個性というか、性格は特に変わっていないようだ。それはそうだろう、同一人物の関心と生活が、移り変わっただけなのだから。