野狐消暇録

所感を記す

2023年の抱負

まず、去年を振り返る。

2022年

妻の看護

僕は妻の看護に明け暮れていた。既に退院してしばらく経っていたものの、服薬は毎日必ず一度あり、三種類の薬を飲んでいた。その薬は薬局でもらったあと、飲み忘れないように、一日分をまとめてひとつの袋に入れ、袋一つ一つに飲む日付を記載していた。こうすれば、万が一飲み忘れたとき、いつ飲み忘れたか分かる。また、飲んだかどうか分からないときも、その日の袋にまだ薬が入って入れば、それは飲み忘れていると分かる。この、異なる種類であったり複数錠であったりする薬を一日分袋にまとめることを一包化と呼ぶ。一度だけ薬を飲み遅れたことがあり、再発防止策を考えていたとき、妻が提案したのが一包化であった。これは神奈川病院でそういう運用をしていたのを妻が患者として知っていて、提案したのであった。

さて、自分の仕事は服薬の補助以外にもあった。妻はコルセットを付けて体を固定していたが、コルセットの着脱は一人ではできなかった。自分がマジックテープを剥がして、肩にかかっているベルトを外す必要があった。つまり、妻が外したい、または付けたいと思ったとき、その都度妻のところに行き、外してやったり、付けてやったりするのである。これは億劫であったが、しかしそういうことなのである。

また、落ちているものを拾う、という仕事もあった。コルセットは体を固定するものであり、固定された姿勢はまっすぐ伸びた姿勢であった。この姿勢はものを拾いづらいのである。人は物を拾うとき、背を曲げてかがむのだが、コルセットを付けていると背が曲がらないので、うまくかがめない。こんな仕事もあった。

つらさと楽さ

つらいと言えば、つらく、なんでもないといえばなんでもないのだが、やっぱり人間相手の看護というのは、明確な休みの日というのはないのである。なぜなら、相手は日々生活しているからである。今日は週末だから、相手の生活がピタッと止まり、服薬もない、コルセットもしないというわけにはいかないのだ。その、はっきりした休みがないというのが、ひとつのつらさである。

一方、つらくないことというのもあり、それは休みたいときに休めるということである。昼間であろうと、いつであろうと、寝たいときに寝れる。会社は辞職してしまったから、どこに行くこともないのである。

あとは、人間関係上、彼女がもう自分でできるはずのことまで僕に頼むのが困るというのもちょっとあったが、これは難しいところである。一体夫婦二人暮らしで、夫に頼れなかったら、彼女は誰に頼るのだろうか。少しぐらい甘えるのが、当たり前ではないか。こういう考えが一つ。もうひとつは、自分でできるなら自分でやる。できないなら言ってくれればそれはやるということで、まぁ理屈上間違いではない。しかし、そうきっぱり押し付けるのは、やはり出来にくかった。時々、それは自分でできるだろ、という話はしたが。

復職

で、自分は妻の二度目の手術が終わり、コルセットも取れて、体力も回復した頃を見計らって、復職することにした。仕事は元の通り、ひとまずITエンジニアという事にしたが、以前とひとつ違うこととして、フリーランスになることにした。辞める前は会社員として働いていたが、個人事業主として独立する事にしたのだ。

なぜ独立したのか

やってみたかったのである。

自分は、何か目標を持って働くようにしてきたが、いわゆるソフトウェア開発者としてアプリケーション開発ができるようになったあと、二つの道があるように思った。一つはプロジェクトマネージャになる道。もう一つは、独立してお金を稼ぐ道である。最初、プロジェクトマネージャを目指した自分は、会社を転職し、新しく入社した会社でプレイングマネージャを経験した。何もなければ、ここからさらに専業のプロジェクトマネージャを目指したり、英語を学んで外資系に行くなどの選択肢があった気がする。

しかし、妻の病気を機に会社を辞めることになった自分は、復職に当たり、プロジェクトマネージャの仕事に応募したり、急に英語の勉強をして外資系を受けてみるということができにくかった。ステップが大きすぎると判断したのである。

もっと小さく、単に復職それ自身を目標にしたい。そうしたとき、フリーランスなら、雇用形態が変わるだけで、やる仕事としてはソフトウェア開発という、10年以上やってきたお馴染みの仕事でいけると思った。

色々、営業だったりやる仕事を選んだりと、自分でやることは増える。その分は新しいチャレンジとして良いし、メインの仕事は今までの継続だから、経験が生かせる。

このぐらいのステップなら、十分踏めると判断した。

そんなわけで、前々から意識はしていたところの、フリーランスエンジニアになってみたのである。これが2022年の10月のことである。

独立してどうだったか

まず、レバテックという仲介会社に登録した。自分で仕事を探すよりも、まずは自営業初心者として、仲介会社を使おうと思った。ここに頼んだら、すぐに仕事が決まったのはありがたかった。すぐに決まったので、他の会社は登録していない。

仕事がうまくいっているのかどうかは、まだ判断するには早すぎるが、とりあえず仕事をできているのは確かだ。このまま軌道に乗せていきたいものである。

2023年

さて、今年の抱負を考えたい。

習得と使用

さて、抱負を語るにあたり、習得と使用という考え方の枠組みを使いたいと思う。

例えば、語学学習が「習得」、実際にその語学を使って話したり、本を読んだりすることを「使用」に分類する。

英語学習なら、ただ英語をやりたいと考えるのではなく、習得したいのか、使いたいのか、一応その二つを分けて考えるという事である。

ITにおいても、技術を習得するプロセスと、仕事などでその技術を使用するプロセスに分ける。このような分け方をすると、自分において習得と使用のバランスを以下の4つに分類できると思う。

習得しているが、使用していないもの

例えば、妻の看護に専念しているときの自分は、ソフトウェア開発の技術を習得しているが、使用はしていない状態であった。これは習得はしているが使用はしていない状態である。

また、昔学んだ数学も、多くが使っていない。これも習得したが未使用であると言える。

習得していないが、使用の機会があるもの

例えば、自分は中国語ができないが、妻は中国人なので使おうと思えば、いくらでも使う機会がある。これは未習得であるが、使用の機会がすでにあるものであると言える。

習得しておらず、使用の機会もないもの

自分は古典中国語を読んでみたいと思っているが、これは未習得であり、使用の機会としては、自分で読んでみるという他ない。だから、使う機会がないとまでは言えないが、あまり大きな機会はない。

習得していて使っているもの

自分は現在職業としてソフトウェア開発者をしている。これは習得した技術を使っていると言える。

どうしたいのか

さて、このように分類してみて思うのは、使用する機会があるのに、習得が遅れているものについて対応したいということと、すでに習得しているのに充分に活用できていないものについて、もっと使っていきたいということである。

自分は英語はそれほどできるわけではないが、中国語よりはずっとできる。しかし、それほど使う機会がないのである。もっと使って良さそうである。

また、中国語は使う機会が日常的にあるはずなのに、知らなすぎる。これはもっと習得を頑張りたい。

そんなわけで、情報技術にせよ、独立を機に学び始めた簿記にせよ、習得することと、習得したことを使っていくこと、この二つを意識して進めたい。

やりたいことは色々あるので具体例は省略するが、自分が今年の年頭で思ったのはこのことである。習得はしたけど使っていなかったり、使う機会があるのに習得ができていないのはもったいない気がするのだ。だから、習得と使用を車の両輪にして、その両方を押さえていくようにしたい。これが今年の目標である。