野狐消暇録

所感を記す

数学の勉強を始める

世の中に出て後、生活に追われ、ゆっくりと書物を紐解く暇も無く、ただ時間だけが過ぎてしまったが、プログラミングを学んでから、芸は身を助くとの言葉通り、いくらか仕事が軌道に乗り、休日に仕事以外の本を読むだけの余裕を得たので、かねてから希望していた数学を学ぶ事にした。

まずは線形代数に手を付ける事にして、忙しかった頃に購入し、棚で埃を被っていた数学書を取り出し、最初のページから読み始めたが、ところどころ分からないところはあるものの、思っていたほど行き詰まる事も無く、次々に読み進められて、意を強くしている。

考えてみれば、まだ解かれていない数学の難問に挑む研究者ならともかく、自分のように先人の足跡をひとつひとつ辿る人は、すでに解かれている問題の解き方を辿るのだから、行き詰まると考える方が誤っている。

ではなぜ難しいと思い込んでいたかというと、それには次のような理由があると思う。数学書は積み上げ式になっており、随筆や俳句を読むように、パッと開いたところから読む事はできない。必ず自分が理解しているところから始めて、少しづつ理解を深めていくのであり、理解していないうちに先のページをめくってみても、ほとんど何を書いてあるか分からない。チンプンカンプンであるといって良い。だから、まだ理解していない数学書を斜め読みして、その中身を類推した時には、とても難しい事が書かれているように思われる。この事が理由になり、自分は龍を前にした鼠のように、読んでいない数学書を恐ろしく感じ、難しいものと決めてかかっていたのである。

さて、先ほど芸は身を助くとの俗諺を引いたけれど、数学を一芸にして、お金を稼ぐ事もできるかもしれない。数学の先生や研究者はもちろん、自分の専門のIT技術に於いても、数学が生かされている分野は多そうだ。現に今話題になっている機械学習の技術では、統計学が生かされていると聞く。そのような分野の技術が分かるようになって、お金を稼ぐ事ができれば、数学は糊口を凌ぐ助けになる。これは今のところ、捕らぬ狸の皮算用とでも言うべきであって、何のあてもないふわふわした空想であるが、明るい未来を空想するほど愉快な事はない。その未来には望ましい成果ばかりがあるからだ。とはいえ、自分は現実を忘れて、空想ばかりしているのを良しとしている訳ではない。ただ、数学の勉強の励みとして、そのような空想をしてみるのである。