野狐消暇録

所感を記す

高市早苗さんと崔杼の故事

柄にもなく政治の話をしたい。いや、ときどきはしているか。

世間を騒がしている放送事業者への圧力の件で、高市早苗さんが、公文書を捏造だと主張し話題になっている。

自分は内情を知る立場にないので、真相がどうかについては沈黙するよりないが、ごくごく一般的に考えて、捏造というのはありそうにない。全くないとは言えないが、いかにもなさそうに思える。

実際はどうなんだろうかという興味はあるものの、それはそれとしてこんな故事に言及している人をTwitterで見かけた。

史書曰 崔杼弑其君 崔子殺之 其弟嗣書 而死者二人 其弟又書 乃舎之 南史氏聞太史盡死 執簡以往 聞既書矣 乃還— 春秋左氏伝 襄公二十五年

上記はWikipediaからの引用なのだが、訳もついでに引用すると以下になる。

太史が『崔杼、其の君を弑す』と事実を史書に書いたので、崔杼はこれを殺した。後をついだ太史の弟も同じことを書いたので、二人目も殺された。しかし彼らの弟はまた同じことを書き、とうとうこれを舎(ゆる)した。太史兄弟が殺されたことを聞いた別の史官は『崔杼其の君を弑す』と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰った

これだけ読むと意味が取りづらいが、この話の前段を記すと、崔杼(さいちょ)というのは古代中国の人物で、大体紀元前550年頃の人物らしい。崔杼は斉という国の宰相であり、荘公光という君主に仕えていた。あるとき、荘公が自分の妻と密通したため、これに怒って荘公を殺した。それで、上の話になるのである。

要するに、事実を記した史官が気に入らず、殺してしまったのだが、それでも他の史官が粘り強く歴史を記したため、ついにこれを許したという話である。

記録が気に入らなかったのだ。

この話は事実だとすれば紀元前550年頃の話ということになるのだが、もしそうだとすると、良く似た事件が2023年の日本で起きている可能性がある。

なんということだろうか。人間社会の変わらなさを想わざるを得ない。

日本は情報統制が厳しい中国やロシアよりはずっとましだと思うものの、あんな国と自国を比較して喜んでいるようでは、成績の悪い同級生を探して、「あいつよりましだ」などと得心しているようで褒められた話ではなかろう。

しかし、今の日本には事実を記すことに命をかける人がいるだろうか。いなくても、問題はない。何しろ、記録は必ず残ってしまう。情報社会なのだから。これだけ情報が飛び交う中で、記録を消し去るなどということは不可能に近い。

それで今の権力者が取る手段は、無理な主張でも延々と繰り返せば、興味のない大多数の人をごまかすことができるという手である。

興味がある人は誤魔化せない。しかし、大多数を誤魔化すことができれば、それで良いという考えである。

しかし、そんなことで良いのだろうか。

崔杼、崔杼、何度も口に出して、呼んでみる。彼の事を思い出して、反省したいものである。

 

 

◆ 冒頭の提灯の写真 琛茜 蒋によるPixabayからの画像