野狐消暇録

所感を記す

『指導者とは』(リチャード・ニクソン著)を読んだ。

この本は、アメリカの元大統領ニクソン氏が、自ら知る世界中の指導者について記した本である。原題は、『Leaders』というらしい。

ニクソンは共和党だったから、所謂保守派に属する。取り上げた指導者も然りで、保守派が多いように見受けられる。我が日本からも、吉田茂が指導者として取り上げられている。

全体的に面白く読んだが、大きく感じた事は二つである。

ひとつは、国家の地位が今日と比べて、やや高く感じられる事である。

この本で取り上げられている政治家が活躍するのは、第二次世界大戦から、戦後にかけてである。出てくる政治家は皆、ニクソン大統領が会う事ができた指導者だから、当然そうなる訳である。それで、その頃の政治家と今日の世界の状況を照らし合わせると、第二次大戦直後の世界から今日に至るまでの歴史が、ただ滑らかに、平坦に推移した訳ではない事が感じられる。

現在の世界はテロが横行し、国際社会全体が流動化しているように見受けられる。

かつてのように国家が一つの纏まりとしてあり、国家同士が互いにビリヤードのボールのようにぶつかり合っているのではなく、国際社会全体が大きな池のようになり、国家はさながら、池の上に浮かんでいる細い紐で互いの領域を隔てているといったもので、明瞭なまとまりを失いつつあるようだ。

これは情報化の進展、貿易の発展、人の移動の増加といった事で、様々な物の行き来が激しくなった結果であろう。また、そういう交流の増加に伴って起こる様々な国際問題の解決を求める声が高くなり、国家はかつてに比べて、国際世論を無視しづらくなったのではないかと思う。

この事は、ドゴール大統領が、フランスの偉大さを強調した事を記した文章を読んだとき、特に感じた。国家主義という事が実体を持っていた時代という気がするのである。

また、当時の国連というのも、理想の産物であると同時に、一国際機関に過ぎず、大して重きを置かれていない。要は、交渉のテーブルの一つに過ぎず、このテーブルについて交渉しても良いが、場合によっては無視しても良いという感じである。

国家こそ、政治の現実であり、国際社会なるものは、今日よりも、はるかに観念的なものだったという気がする。

もうひとつは、ニクソンの政治哲学に関するものである。ニクソンは、保守政治家として、革新派の考え方を批判し、フランス革命は挫折に終わったと言っている。その理由として、革新派は破壊は出来たが、建設はできなかったのだ、としている。

同じ文脈で、中国での内戦で負け、台湾に逃れた蒋介石を評し、彼は革命家には珍しく、保守派だったと述べ、蒋は清国の腐敗を批判したが、過去を否定しようとはしなかった、過去の延長線上に未来を築こうとした、としている。

こうした箇所を読むと、この本は、世界中の指導者を取り上げた印象記ではなく、人を語りながら、己の政治哲学を語る、ニクソンの本である事が分かる。

 

------------  ここから先は、メモ風に、感じた事を記してみる。

本を読みながら、ニクソンが嫌われた理由が分かる気がした。ニクソン自身は、あまり人に好かれる所がないのだ。例えば、もしニクソンがテレビの舞台上に立っていたら、人気が出なかっただろう、と思うのだ。

彼は舞台に上がった時、自分が良く見えるように考えて、行動している訳ではない。「見られる者」として演技している訳ではなく、飽くまで関心は現在の世界に対処する事にあるのだ。ニクソンの立場に立ったつもりで、一緒に外の世界を見、どう対処したら良いか考えてみると、ニクソンに同情的にもなれるのではあるが、一切実際上の責任ある立場から離れて、例え仮にでもそうした立場に立って考える事なく、単に外からニクソンを見たら、やたらと自信家の、自分勝手な人物に見えるのではないだろうか?

例えば、車を運転している運転者を助手席から見るような具合である。車の運転について何も考えずに、運転手を見てみると、もしかしたら、そんな具合に見えるかもしれない。

自分で勝手にハンドルを握る。曲がりたいときに曲がるし、同乗者の意見は聞いているような、いないような具合で、言葉をはぐらかす。話しかけるだけでイライラし、「いいから黙っていろ」と言いたげである。なぜその速度か、なぜそこでハンドルを切ったか、説明を求めても、碌な返事が返ってこない...

つまり、ニクソンの立場に立ったつもりにならないと、ニクソンの政治は理解しにくいと思うのである。政治家を単に「上に立って権力を振るっている人」として眺めてしまうと、あまり面白い気はしないし、からかいたくもなるではないか。ニクソンは特に、「偉そう」に見えたのではないかと思う。

 

  • 明治の日本

日本は一度明治の革命で民主化したが、その時参考にしたのはドイツであり、天皇という絶対君主を制度の中に残した、と書いている。第二次世界大戦で大きな失敗をする事になるドイツから、日本は近代化を学んだ事になる。

 

  • 政治信条と職業

インテリは革新派が多く、技術者は保守派が多い、とある。自分は、ソフトウェア・エンジニアである。自分の政治の見方は保守派に属すると思うが、これは職業の影響なのだろうか?

 

  • 軍事的な緊張関係にある国との外交

ソ連の外交について、ソ連の武力と同等の軍事力を保持しつつ、しかも対話を継続する事が大切だ、と述べている。西側は、経済力というカードを持っている、しかも、東側の国の民衆は、西側世界に憧れている、というのである。翻って、今日、ロシアや中国の拡張政策を目の当たりにしたとき、自分が思うのも、やはり同じである。領土問題で、日本は妥協できないだろう、しかし、交渉のテーブルから降りたらその時点で負けなのだ。例え北朝鮮相手でも、いや、北朝鮮のような危険な国であればあるほど、交渉可能な点を粘り強く探さねばならない。人の振り見て我が振り直せ、という諺がある。南シナ海の領土問題で、中国は仲裁裁判所を拒み、そのために自身の正当性を主張する機会を失ってしまった。あれがつまり、席を立った方が負けという事の意味なのだ。

 

  • 戦争の原因

ニクソンは戦争について、独自の見解を述べている。戦争の原因は武器ではない、というのである。政治によって、妥協点を見い出せなかった事が原因であり、武器を戦争の原因だとするのは、原因と結果を見誤っている、と指摘している。自分はこの言葉によって、蒙を開かれた思いがした。

日本は、かつて軍人が政治を行おうとし、第二次世界大戦で失敗した。これはおそらく、軍人が軍人の発想で政治ができると信じたためだろうと、自分は考えていた。

戦後、日本は平和国家を国是とし、歩みを進めた。しかし、日本の平和主義は、実は戦中の軍人と同じ発想になってしまっているのではないか、とニクソンの言葉から思った。なぜなら、武器によって世界を支配できると考える事と、武器を捨てる事で平和が訪れると考える事は、共に政治による問題解決を疎外しているという点で、同じだからである。ニクソンが記しているように、話し合いによる、平和裏の問題解決こそが肝であり、最も重要な事なのである。そうした政治の問題を脇に置いて、武器を取り上げたり、降ろしたりするだけでは、何も変わらないのだ。

 

  • まとめ

この本は、ニクソンが書いた本であり、その点、ニクソン自身の見解を知る事ができる利点がある。しかし、一方から見れば、ニクソンの主観を通して描かれた指導者の肖像画であり、そうした主観が、対象の理解という点で、妨げになっているという事もあるように思う。

だから、今後は、チャーチルならチャーチルの文章を読んでみたいし、指導者ではなく伝記作家が書いた政治家の伝記や、特定の人物を主役に置かない、歴史の本も読んでみたいと思う。そうしたら、きっとこの本の理解が深まるだろうし、また新しい発見もあるだろう。自分は全く政治と関わりのない生活を送っているが、こうした本を読む楽しみは、何物にも代え難い。これからも機会をみて、政治や歴史の本を読みたいと思う。