野狐消暇録

所感を記す

人が平等でありかつ不平等であるゆえに助け合うのである。

同じ人間であると考えるから助けあう事ができるのである。

男女だから、大人と子供だから、お金持ちと貧乏人だから、色々な理由で人間を隔てていては、助け合うことはできないのである。

しかしまた、人が置かれている立場、境遇や、できる仕事、能力、年齢、国籍、話す言語などがそれぞれ違うから、助け合うことができるのである。得意を生かし、人を助けることがあるのである。

だから、まずは、人を隔てる観念上の仕切りを無くし、また同時に、相手の境遇や心情に同情するのでなければ、協力ということは生まれないし、できないのである。

 そう考えると、助け合うというのは一見、不思議なことのようにも考えられる。

「人がそれぞれ違う」事と「しかしまた同じである」事を同時に認めなければ、助け合うということはできないからである。

しかしその実、助け合うというのは優しいことである。

親切を受け取り、自分にできることをしたら、それで助け合いになるのである。

何もできないということはない。何かできる。

それでも何もできないという人は、受け取ることである。

受け取ることもまた、協力の一面であり、大切なことなのである。

『吾輩は猫である』の思い出

初めて読んだのは、高校生だったと思う。面白くて、最後まで読み通してしまった。読んでいるとき面白かったし、当時、本を読むのを途中で止めるということをあまりしなかったので読み通したが、人によっては途中で読むのを止める人もいるようである。それを知ったときは、「こんな面白い本を途中でやめるのか」と思って、軽く驚いた。そのぐらい、「吾輩は猫である」は面白い。

西脇順三郎が、確か、「吾輩は猫である」を称して、随筆と呼んでいたと思う。小説という感じは確かにしない。一応、フィクションだが、内容としては随筆やエッセイに近い趣である。それで、どこからでも読める。この性質は、夏目漱石自身も自覚的だったようである。自分で確か、「金太郎飴」と言っていた気がする。ここにはすべて僕のあいまいな記憶で書いているので、調べたら違うかもしれない。

思えば、僕は小説よりもエッセイが好きであった。日本語で言えば随筆である。大学時代、夢中になって読んだのは内田百閒であった。小説も書いているが、どちらかというと、随筆で知られた作家である。

そんなわけで、漱石は「三四郎」も読んだし、「坊っちゃん」も読んだけど、ちゃんと理解できた気が全然しない。そもそも、漱石の小説は面白いのだろうか? 小説の骨格としては、鴎外の方がしっかりしていて、まだ理解が追い付くところがある。

人間には、思考の型とでもいうべきものがあると思う。大体こう考える、という流れが、良きにつけ悪しきにつけ、できてくる。

政治の意見でも、右派は大体こう考えるとか、左派はこうというまとまりがある。個々の問題に対して、人の意見が単純に二つの傾向にまとまるはずはない。問題A,B,Cに対して、右派は肯定、肯定、否定、左派は否定、肯定、否定となる、そんな単純に分かれるはずはないのだが、でも、なんとなくそういうまとまりがないこともないという風に見える。これは思考の型に従って問題A,B,Cを処理すると、こういう結論に至るという道筋がある程度あるためかもしれない。

小説の理解という点でも、鴎外の方がやや自分の頭の型に近いのかもしれない。僕は荷風も好きであって、こちらの作家も漢文的な世界観を背景として持っている。鴎外はいうまでもないことである。

夏目先生は、そうではない。江戸戯作の流れを引くという。江戸の戯作を自分ももう少し読めば、話が分かるのかもしれぬ。

話を「吾輩は猫である」に戻そう。

この話を読んだとき、いや、漱石の文章に触れたときに感じたことなのだが、ともかく表現が豊かである。鴎外がある小説で漱石に擬した登場人物の作品を評して言った、「曖昧な考えを曖昧なまま表現し、それで人が得心する」という評価が自分にはしっくりくる。明確になる前の、感じていることや、思っていること、あるいは人の姿、様子などの神羅万象を、キケロばりの冗長な文体でめぐりめぐりしながら書き、そして充分に描き切る。そこに、漱石の文章力の素晴らしさがあると思う。

漱石の思想が全面に出てくる作品にはあまり魅力を感じない。草枕も良いという人はいるが、一体文学者の思想というものは、表現としての思想であって、本当の思想ということとは違うと思う。あまり人を導く強さを感じない。思想が人を導くというより、どちらかというと、人の思想を表現したという感じである。思想に価値があるのではなく、表現したことに価値がある。

人を考えさせる。人にものの見方を示す。そういう面白さが漱石の文章にはある。

何かそういう、モノの見方の角度を人に教えるというのも、小説や文学の面白さかもしれない。

吾輩は猫である」には、心地よい読後感というものがない。どちらかというと、悪い読後感が残る。文明批評の毒が効きすぎて、読者まで、毒に当たるのかもしれない。それがあるいは、途中で読むのを止める読者がいる理由なのかもしれない。しかし、漱石の文章の面白さは一品であり、それはこの作品で良く分かる。だから、自分は今でも「吾輩は猫である」が好きである。

他人のように自分を導く

他人を見る時のように、自分に思いやりを持つこと。

他人のごまかしを見破るように、自分のごまかしを見破ること。

もし、他人が自分と同じ境遇にいたなら、どうアドバイスするだろうか?

思いやりを持つこと、本質的に重要な点を突くこと。

それがアドバイスの基本ではないか?

自分で自分を導くとき、無理をさせないこと。そして、本人の希望を尊重すること。

自分を許すこと。どこまでも、自分に思いやりを持つこと。

日本大学文理学部茶道研究会の2020年初釜

人が多かった。廊下まで人が溢れていた。緋色の絨毯が敷かれた待合も、一席入った後は入れなかった。諸先輩方とゆっくり話すには、やや混んでいたので、早々に帰ることにしたが、今年は例年と違って、K君に会えたのが嬉しかった。K君は、もう何十年かぶりにお茶会に来たという。僕は毎年出席しているので、年ごとに少しづつ変わってきた様子を知っているけど、K君からしたら、卒業して以来なので、変化を感じたらしい。

「お道具も増えたよ」

僕はK君に教えた。実際、数茶碗は僕の卒業後に購入したもので、ちょっと素敵な柄であった。前回の櫻門茶会で一緒だったT君もいくらか遅れてやってきて、三人で旧交を温めた。

大勢の人と言ったが、これが受験会場なら若い人ばかりだし、会社なら男性中心で、おじさんが多かったりするが、茶道研究会の初釜には、若い学生から、お年を召した先生までいて、男女比もおおよそ半々である。それが自分にはなんとなく嬉しい。社会の成員が満遍なく、みんな参加している気がするのである。

お歳を召したと言えば、K先生はもうだいぶお歳だが、弱ってきたとのお話で、心配であった。

お茶会の席で口にするのは失礼にあたると思うけど、OBの図々しさでちょっと言ったことがある。それは畳が張り替えたい頃合いだということである。あんなにすり切れた畳でお茶の稽古をしているのか。お茶室を出た、サークル棟の廊下でもちょっと話したけど、OBでお金を出し合えば、畳の張り替えぐらいはできると思う。あと、あの破れ放題の障子も張り替えたいものだ。I先輩曰く、一度張り替えを試みたが、普通の障子と仕組みが違うそうで、断念したという。畳も障子も大学の備品だそうで、事務に古くなったから張り替えて欲しい旨は伝えたそうだが、まだ張り替えてくれないのだそうである。備品というのはありがたいが、気軽に新調できないのが歯がゆい。

さて、お茶会が終わった後、久しぶりに会ったT君とK君と連れ立って、どこかで食事をすることにした。日本大学文理学部の構内をぐるっと散歩してから、明大前まで散策したあと、明大前から電車に乗って新宿に行き、新宿西口の居酒屋に入った。T君がお酒好きなので、お店の選定はT君に任せた。

お店に入って、お酒を頂いて談笑しているとき、ふと妻の事が気になり、スマートフォンを取り出して見てみた。すると、電話が20回ぐらいかかってきている。wechatも届いていて、怒っているらしい。二人にそう告げると、「早く帰った方が良い」という話になった。それで先に居酒屋を出て、帰ることにした。

最後はちょっと慌ただしくなってしまったが、楽しい日になったと思う。妻には以下の写真を送ったら、誤解が解けたようで、怒りを鎮めることができた。

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T君、K君と旧交を温める。

 

飛躍

人は自分の足で立ち、自分の足で歩く。それはそうなのだが。

飛躍することがある。

それは誰かに愛されたときである。
自分とは違うアスペクト(断面)で世界を見て生きている人がいる。
その人が自分を愛する。
すると、自分に欠けていたものに気付かされる。
そういう形で、息を吹き返す。

それは新しい感情であり、新しい地平である。

眠っていた私が起きる。
知らなかった世界を知る。
新しい地平に立っていることを知る。

それが愛されることである。
新たな世界に目覚めることである。

そして人はもう一度生きる。

それが飛躍することである。

 

岩本素白「雨の宿」を解釈しつつ読む。

岩本素白の随筆を読み返している。すでに著作権の期間が切れているらしく、青空文庫で読める。文章は漢字仮名交じりの、少し昔の文章である。

ひどいというほどでもないが、国文学の先生らしく、一文がやや長い。これが読みづらく、意味を取りづらいので、自分で句点を補いながら読んでみた。文章の意味が取りづらいところは、自分で勝手に文を補ってみた。これは私がこうだろうと思って補ったものなので、正しいかどうかは分からない。その点をご承知おき願う。

太字の部分が、自分の加筆修正が入った部分である。勝手に句点を挿入した部分にはスラッシュ「/」を入れてある。修正前の本文は青空文庫で読める。

www.aozora.gr.jp

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雨の宿

 久し振りで京都の秋を観ようと、十月十五日の朝東京駅を発つ時、偶然山内義雄さんに会った。/

山内義雄さんから、お宿はと聞かれて、実は志す家はあるが通知もしてないことをいうと、それでは万一の場合にと、名刺に書き添えた紹介を下すった。/それは鴨川に近い三本木という、かねて私もひそかに見当をつけたことのある静かな佳い場所であった。

然し実際私の落ちついたのは、(紹介して頂いた三本木ではなく、)中京も淋しい位静かな町筋の、(中略)まことに古風な小さな宿である。

(その宿は、)暗く奥深い呉服屋や、古い扇屋、袋物みせ、さては何を商う家とも、よそ土地の者には一寸分りかねるような家々に挟まれてあった。/

 以前この土地に親類のあった私は、(泊まりには親類を頼れば良かったことから、)この辺りの宿屋に就いてはまるで知識をもたない。/(しかし敢えて述べれば、)此の家は他の多くの旅館の如く、すぐ賑かな大通りに面した入口に、大勢並んで靴の紐を結べるような造り(にはなっていない。)(それどころか、)門をはいった突き当りが薄暗い勝手口で、横手の玄関に小さい古びた衝立ついたてを据えたところなど、土地馴れない眼には漢方医者の家を客商売に造り替えたような感じを受ける。

あとで聞けば殆どお馴染なじみさんばかりで、ふりの御客は稀だという。

なるほど、入り口で自動車の中から首を出した私に、少し渋った風でもあったが、最初心ざして行った家が混こんで居て、そこから指さされて来たことをいうと、ともかくも通されたのが、ささやかな中庭を見下ろす奥の二階(であった。)/

部屋は折れ曲った廊下のはずれで、全く他の部屋と縁の切れて居るのをよいと思った。/

(しかし)それよりも良かったのは、其の狭い中庭の一方を仕切る土蔵の白壁を背景にして、些か振りを作ってある松の緑が、折からの時雨に美しい色を見せ、ほかには何の木も無いのが却ってよかった(ことである。)

殊に其処は小さな二た間つづきで、その両方のどちらの窓に倚よっても、中庭ごしの白壁のほかに、北から西へ掛けて屋根の上、物干しのはずれ、近所の家々の蔵が五つ六つもずらりと白い壁を見せて居る。

蔵というものは、場合によっては陰気にさえ見えるほど静かな感じを与えるものである。/東京あたりでは此の頃それ(、つまり蔵々の姿)が段々見られなくなってしまった。久しい以前、始めて川越の町を見に行った折、黒磨きの土蔵造りの店がずらりと並んで居る町筋を通って、眼を見はったことがあるが、考えて見れば川越は江戸よりも古い文化を持った町であった。

まして此処は旧い都、ことに此の辺りは落ち着いた家の多い町である。こういう背景を持った此の部屋の、ひっそりとした気配に、すっかり京都へ来たような気になって、些かいぶせき宿ではあるが、ともかくここを当分の塒ねぐらにしてと思い定めたことである。

京都の駅に着いた時、もう降り始めていた小雨が、暗くなると本降りになって夜を通して蕭条しょうじょうと降り注そそぐ。今まで此の土地へ来るたび、いつも天気でついぞ雨らしい雨に会ったことのない私は、すっかり雨というものを忘れて来たが、聞けば此の夏はまるで降らなかったという。これは悪くすると、滞在中ずっと降り通すかも知れない、然しその時には又その時のことと肚はらをきめると、雨の音は落ち着かぬ旅の心を和なごやかに静めてくれる。

悪い癖で宿屋の褞袍どてらを着ることの嫌いな私は、ほんの七八日の旅なのに、わざわざ鞄に入れて来た着物と着換え(た。)/早目に床を延べてくれた奥の小間の唐紙からかみを締め切り、入り口の方の部屋のまん中に小机を据えて端坐する(そうしてみると、)少し強くなった雨の音が、明日の行程の悩みを想わせるよりも、ひどく静かな愉しいものに聞えて来る。

一二冊は携えて来た本もあるが、さてそれに読み入るだけの余裕はない。/(そんな、)落ち着いたようで居て、何か物に憧れるような焦立いらだたしさを覚えるのも可笑おかしい。

 近頃少し眠られぬ癖がつきかけて、これで旅に出てはと危ぶんで居たが、それにしても其の夜は割によく眠れたことである。

暁に眼ざめてそれから程なく聞いた鐘の音は、ふだん東京で聞くものよりはやや澄んで高い音であった。

目を瞑つぶったまま近くの寺々を思い浮べて見たが、さてどの辺とも分らない。やがて彼方此方、音色ねいろの違った、然し同じくやや高い鐘の音が、入交って静かに秋雨の中に響いて来る。じっと目を閉じて居たが、雨は如何にも落ちついて降り注いで居るようである。

若い頃、利根川の畔ほとり鹿島の宿で、土用明けのざんざ降りを食って、三日も無言の行を続けたことを思いだしたが、あの黒ずんだ、色彩の無い、常陸の国の川沿いの丘の宿に比べると、此処は雨もまた優しく懐かしい。

といって、今度の旅は単に京都の秋の景色に浸ひたってだけ居るわけにはいかない。少しは調べたいもの、見たい所もあって、五六日は随分歩くつもりで、足慣らしもして来たのである。/

(しかし)この雨では愛宕あたご、乙訓おとくに、久世くぜ、綴喜つづきと遠っ走りは出来そうにない。然し雨なら雨で、近まの寺々の苔の色を見て歩いてもよい京都である。

幸い博物館には、思いがけず海北友松かいほうゆうしょうの特別展覧会が開かれても居る。祇園の石段を上って、雨に煙る高台寺下の静かな通りを清水きよみずへ抜ける道筋も悪くはない。そんなことを寝たまま考えて居るうちに、いつか下の方でも起き出した気配で、滑なめらかな優しい此の土地特有の女達の言葉が聞えて来た。

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長い文章には時として、人を酔わせるような魅力があることは、文学に関心がある人なら誰でも知っていることだろう。しかし、文章が長いと、意味が取りにくくなることもまた確かである。こうして分解しながら読んでみると、意味が良く分かる。もっとも、随筆だから、大して中身があるわけではなく、文章の魅力を取り除くと、この文章に何の意味があるのか分からなくなる気もする。

さて、こうして手を加えつつ読み進めて気が付いたことがある。それは、長い文章、凝った文章が前半から中盤にかけてあることである。終盤は、それほど解釈に悩むことがなく、そのままストレートに読めた。これは作者の興が乗っているのが最初の部分で、そのリズミカルな国文学の文章が、徐々に自然な、日常的な文章に近づいていくためではないかと思う。

ともあれ、読みにくいことを除けば、名随筆と呼ばれるのも分かる。それに、客観的な評価はともかく、僕はこの随筆家の文章を好んでいるので、これからも折に触れて読んでいきたいと思う。