野狐消暇録

所感を記す

第六十ニ回櫻門茶会

僕が学生の頃に、五十回記念のお茶会でどうという話をしていた気がする。今回は六十二回目の櫻門茶会だそうなので、あれからもう十年以上経ってしまった。茶道の歴史は四百年ぐらいあるので、それを考えたら短いけれど、自分の人生の尺で振り返ると、やっぱり長い月日である。

第六十二回の櫻門茶会は成城学園にある松花庵であった。

前日まで住んでいるマンションの部屋を片付けたり、一週間の疲れを取るために何もせずにぼうっとしたりしていたので、まだお土産を買っていなかった。午前十時頃、自分はスーツ姿で、小田急成城学園前駅に降り立ち、改札を出ると、Google Mapの道案内に頼りつつ、雨上がりの駅前を過ぎて、成城風月堂にやってきた。

成城風月堂

このお店は和菓子と洋菓子を両方とも扱っているようなのだが、ちょうど贈り物に良さそうなので、お茶会のお土産を買う事にして寄ったのである。

成城学園というと、高級なイメージがあるが、先に入っていた客もおばあさん二人で、さぞ裕福なところの方という風に見えた。店員も小奇麗にしていて、庶民風というよりは、小さな格調あるお店という構えである。店員がおばあさんに優しく振る舞っているだけで、店に品がある気がしてくるし、現に品がある店だった。

自分は日持ちしそうなお菓子を探し、入ってすぐに目についた「成城物語」というお菓子の詰め合わせを買った。熨斗をつけるか聞かれたので、「お願いします」と答えると、表書きをどうするかと言う。

咄嗟に「一応お茶会なので水屋見舞でお願いします」と答えると、ちゃんと「水屋見舞」と小筆でしたためてくれた。デパートの地下で買ったときは「水屋ってなんですか?」と聞かれたのだが、ちゃんと字が出てくるあたり、「やるな」と思ってしまった。別に剣客ではないのだから、そんなところで勝負しなくても良いのだが。

松花庵

松花庵に行く道すがら、着物姿の女性とスーツの女性が二人、連れ立って歩いてゆくのを見たので、あるいはと思ったら、やはり同じ茶会の客であった。

会釈だけして、話すでもなく、一緒に松花庵まで歩いていった。松花庵に着いてしばらくしてから、着物姿の女性は表千家看月庵で学んでいる茶道の先生であると分かった。

松花庵の玄関には、スーツ姿の学生が立っていて、どうぞと招き入れてくれた。みなさんにといって受付で水屋見舞を渡して、待合に通る。十年経っても、クロークや下足のシステムが変わっていない。進化しろとは思わないけど、半東の言葉まで変わっていないので、本当に伝統といった感じである。お陰でこちらはずっと稽古していないのに、正客のときに何を話したら良いかが分かるのだが。

待合には緋色の絨毯が敷いてあり、茶席受付が設けられていて学生が二人座っていた。自分より他に誰もいないので、一瞬間違って茶席に来てしまった気がしたが、そんなことはなかった。早い時間帯なので、まだ人が少ないだけだった。こちらはほとんど覚えていないのに、学生が顔を覚えていてくれて恐縮する。

絨毯に正座して、麦茶か、番茶のような茶色いお茶を頂いていると、すぐに席の準備ができて入ることになった。小間である。

台目席

 三客として席に入った。客は四人なので無難な順である。

軸は「紅葉満山川」で、花は寒椿と黄色いもみじである。お道具は見慣れたものだったが、当然のことながら花は今回のもので、綺麗に挿してあった。菓子は丸い主菓子で、柔らかい中間色の赤がグラデーションになっていた。会記を見ると、確か夕焼けとかそういう名前で、なるほどと思った。夕焼けには形がないが、敢えて作ると丸くなる訳なのだろう。

正客はN先生でさきほど、行きが一緒になった着物の方である。自分は細かい作法を忘れてしまったので、N先生が床を拝見すれば、自分も倣って拝見し、礼儀を守ることにした。

茶席というのは静かである。話すのは半東さんと正客だけであり、それも折々二言、三言話すだけだから、ほとんどの時間を沈黙が支配する。しかしそれがまた、不快でないのが茶席の茶席たる所以というわけで、沈黙が充実してゆくといったら良いだろうか。能を観に行ってもあることだが、退屈しない静かさというものが茶席にはある。

音というと、亭主が茶筅を調べて、静かに茶碗の縁に落とすとき、鹿威しのように竹が鳴る。この音が、無音の茶席に響くと、ますます茶道らしい感じが出てくる。

お茶を頂いて、亭主と半東に最後の挨拶をしたあと、痺れた足をゆっくりと伸ばし、ようやっと立って茶席を出た。

こうして茶席に入った時のことを振り返ってみると、扇子と懐紙が見つかって良かったと思う。お茶会の前日、あれだけ部屋を引っ繰り返して探したのに出てこなくて、「何でだろうな、毎年使っているのに、そして捨てたはずはないのに出てこない。おかしいな」と思っていたのが、今朝起きて最初に探した戸棚に入っていた。やっぱり夢で記憶を探っておいた訳なのだろうか? もっとも、それとは別にネクタイをするのを忘れてしまったが、これはまあ、客だから許してもらおう。

一つ目の席を出たところで、M先輩とお会いする。受付で名前を書くとき、先にM先輩のお名前があって、早いなと思っていた。文理学部で教えているI先輩とN先生にも、機会を見つけて挨拶をする。

茶箱

また待合で名前を呼ばれて、二つ目の席は茶箱であった。茶箱、すごいな、茶箱なんだと思って席に入った。待合の流れでN先生が「さきほどしましたので」と正客を断り、自分が正客になってしまったので、待合の絨毯を立ち上がりしな、「何か特別なことはありますか?普通の正客ですよね?」とM先輩に聞いて、M先輩も「そうそう、普通の正客」と言っていたのだが、入ってみたらとんでもなかった。そもそも、茶箱の拝見の仕方が分からない。振り出しという、金平糖が入っている菓子器の扱いで既に苦労しているのに、この上茶箱を拝見しなきゃいけない。困ったのだが、ともかく全体を見たことにして、次客に渡してしまった。すると、三客に座していたN先生が次客にいた学生に細々と拝見の仕方を教える。それを見ると、茶箱からお道具をひとつひとつ取り出して、畳の縁の内側でしっかり見ている。どうやらこれが正解である。自分は「全くお道具を見る気がない正客」になってしまった気がして、半東や亭主に申し訳なく思った。

茶箱は今まで点前を見る機会が少なかったので、所作も珍しくて面白かった。あれはやる方も覚えることが多そうである。ただ、あまりにも点前が長いので、途中、足が全く痺れて困ったが、少し姿勢を変えたりして、何とか体裁を整えた。他にちょっとしたことだが、風炉先屏風が源氏香の紋様で、お洒落だった。同級だったK君は今日インフルエンザで来れなかったのだが、学生の頃、夏の合宿で源氏香の模様を取り上げて発表していたから、来れたら良かったのにと思う。

お菓子は金平糖の他にしっかり主菓子が出て、こちらも頂いた。歳を取ったせいか、主菓子を一日にふたつも食べたくないなと思ったが、まぁ出さないわけにもいかないだろうから、これは亭主のせいではないのである。一席だけ入っていく人もいるわけなので。あとは、懐紙に包んで、持ち帰っても良かったかもしれない。おそらく、それが一番良い気がする。

席を出てから、現役生に話を聞くと、先年卒業した先輩が茶箱を買って後輩に贈ったそうで、これが今回茶箱席をやることになったきっかけとのことである。

T君と会う

茶箱席を出ると、待合いにT君がいた。久しぶりに会うが、ファッションセンスが変わっていないので懐かしい。勢い込んで話し出したが、すぐにT君が席に入ることになり、聞くとお道具がないとのことなので、咄嗟に扇子を貸した。それから困ったのは、扇子を貸したから帰れないことと、T君の入った席が茶箱席で、点前が長いものだから、延々待合に帰ってこないことである。僕がずっと待合に座り込んでいるので、現在の部長がなにか御用事でもという風に心配して声をかけてくださったぐらいである。「扇子を後輩に貸して帰れない」と答えたら笑ってそれなら良いのですということになった。

しかし、本当は扇子の件もあったが、せっかく会ったのでT君と話したかったのである。T君は席を終えて帰ってきて、それからまた二人で話し出したが、T君が二席目に入ることになったので、「積もる話もあるように思うが、自分はこれで帰ろうと思う」と言ったら、また別に機会を作ろうということになった。それで話がまとまり、T君は席に入って、自分は帰ることにした。I先輩がクロークで毎年ありがとうと言うから、こちらこそいつもありがとうございます、とお茶会のお礼を言っておいた。今、櫻門茶会以外にお茶会に行くことはないから、自分にとっては唯一のお茶会なのである。

外に出ると晴れていて、持ってきた傘は家に着くまで、ついに広げることはなかった。なんとなく充実したような心持ちで愉快であった。これも、お茶会に行ったとき、いつも感じる、不思議な気持ちである。

「ドリトル先生アフリカ行き」を原書で読んでみている。

きっかけは英語の勉強である。今、英語を学ぶために、日本語の訳書がしっかり出ていて、英語の原書も手に入る本を探してきて、読むようにしている。プロジェクトマネジメントの本もそうやって二つの本を交互に参照しながら読んでいるのだが、小説も読んでみようと思い、ドリトル先生シリーズの英語版と日本語版をKindleで買った。ドリトル先生シリーズは井伏鱒二が訳していて、日本語版を子供の頃読んで面白かったが、今読んでもやっぱり面白い。それに、読んでいて、子供の頃にははっきり分からなかったことに気づいたりもした。それは、この本が社会批評を含んでいるという点である。夏目漱石の小説『我輩は猫である』では猫に人間社会を批評させていたが、このドリトル先生においても、動物たちに言わせることでその時代の世界を批判しているのである。

風刺

ドリトル先生は慢性的に金欠である。それは一つには、ドリトル先生がお金を儲けるために生きるようなタイプの人間ではないことに起因している。儲かるかどうかで行動を決めているわけではないので、動物たちの尊敬を集めることはできても、お金を集めることはできない、また積極的にはしようとしないのである。

動物たちはそんな先生に変わってお金の心配をする。いわば、動物たちの病を治す代わりに、動物たちが生活の心配をしてくれるというような形である。

病を治してもらった猿たちが、先生にお礼をしようと相談をする。そのとき、最初は食べ物を考えるのだが、最後には珍しい動物を贈ることに決める。その理由はというと、「人間の世界というのは、お金がないと一日も暮らせないから、この動物を見世物にして、お金を稼いでくれ」というわけである。

このエピソードが語られる時、猿は「お金がないと暮らせないとは! 自分はそんなところでは暮らしたくないな」という風に語るので、そこが面白いのだが、これはやはり批評であると思う。猿の世界より人間の社会の方が劣っているという次第である。

こういう類の批評は作品中に散りばめられていて、動物界では偉人扱いのドリトル先生、人間界では変人のお医者さんということで、話の構造そのものが面白い。これは話としてもよくできていると思うが、そこには一脈の批判精神というものも流れていて、最近読んでそれに気づいたという話である。

井伏鱒二の訳

英語で原書を読んでいくので、井伏鱒二の翻訳がどういうものか、自分で検証しながら読むような形になる。もちろん、日本語訳を傍らに置くのは、自分で意味が取れなかったとき、訳書に意味を教えてもらうためである。しかし、同時に、「なるほど、こう訳したのか」と訳し方を噛みしめることにもなるわけである。

それで感じたのが「おっしゃった」とかいうような丁寧な言葉を井伏鱒二が補っているということである。原書には、そういう丁寧語に当たる言葉が載っているわけではないと思うのだが、井伏はそういう書き方をしている。そのために、日本語訳が上品というか、気品のようなものが少し増しているかもしれないと思う。これは優雅という感じとはちょっと違って、丁寧な、敬語が使える人の日本語を聞いているような具合である。

僕は井伏鱒二の作品を好きで読んでいたことがあって、『山椒魚』や『寒山拾得』のような作品のファンであった。井伏鱒二は日本語を大切にする、詩人肌の小説家である。そういう井伏の特徴が、訳にも出ていそうな気がした。

これから

ぜひ最後まで読んでみたいが、果たしてどうなることか。

日本語の本と英語の本を並べて読むと、ただ辞書を引きながら英文を読むより、ずっと楽なので、英語を学んでいる人はやってみると、人によっては良いかもしれない。ただ、一冊買えば済むはずのところを二冊同じ内容の本を買うわけなので、ちょっと勇気がいるのは間違いないのである。私はお金を出せないので、判断は読者諸氏に委ねるのである。

このブログの題名

野狐消暇録という題の読み方は、「やこしょうかろく」である。野狐というのは、学生の頃、自分が使っていた俳号である。消暇録というのは、中国の怪談「閲微草堂筆記」から来ている。もう名付けたのが古過ぎて、消暇録が本来消夏録だったことしか覚えていない。それで、今調べてみたら、閲微草堂筆記の元となった本のひとつに藻陽消夏録というものがあり、ここから取ったようである。つまり、僕の俳諧趣味と中国趣味の合作がこのブログのタイトルである。

このタイトルの意味は、野狐、つまり自分が、暇つぶしにした事、という程度の意味である。僕は東洋趣味というか、暇な時に読んだり、書いたりするような文学を好んでいたので、そのような意味のタイトルにしたのである。

寺田寅彦の文章

青空文庫で久しぶりに寺田寅彦の文章を読んでみた。
旅の文章や景色を書いた文章には精彩が無いと思う。その後にちらっと読んだ横光利一は目の当たりにするような生き生きとした景色の描写があり、さすがであった。
それに引き換え寺田寅彦の風景描写は観察記録のようで美しくないが、しかし、ここで一つ思い当たることがある。
それは寺田寅彦の本業は科学者で、観察、分析は科学の世界では有用であるということである。そう思って、寺田寅彦の文章を読み返すと、思い当たる節がいくつかある。
まず、理屈が連綿として長い。こんなに長いこと粘り強く論理を追う事は、普通の感覚ではやりきれない。綿密と言っても良いと思う。次に良く観察するという事である。こんなところに普通は気づかないという点を観察している。
つまり、寺田の随筆は科学的な態度を社会や身近な事象に向けたところに成り立つ文芸ではないかと思う。だから、自然描写に美しさを欠くのは偶然でなく必然であろう。寺田の文章で生き生きとしているのは論理的な、推理を述べる文章である。つまり科学的な文章が生きていて、それが面白さになっている。寺田寅彦の自然描写に美しさがないと不平を言うのは、蕎麦屋でカレーを頼んで、まずいというようなものだろう。頼んだ方が悪いのである。素直に蕎麦を頼めば良いのだ。

佛の一撃

妻の仕事の手伝いで荷物の梱包をしていた。
梱包の終わった荷物を量りに載せて、重さを量ろうとしたときだ。腰の辺りに痛みが走った。鈍い、捻挫のような痛みだ。「しまった、腰をやったかな」と思い、そっと体を元の姿勢に戻してみた。やっぱり痛い。痛みに耐えながら、苦労して立つには立ったが、膝に手を置いたまま、背を伸ばすことができない。困ったが、何とか一歩一歩歩いて、布団に辿り着いた。敷きっぱなしなので、敷く手間が省けたのは、不幸中の幸いである。
妻は「なぜ仕事中に腰を痛めるのか。日をずらしてもらいたい」とにべも無い。この野郎とは思ったが、悪態をつく元気が湧かないので、言い返さずに黙っていた。
一体明日の仕事はどうするか。できれば一日休みがほしい。昔ぎっくり腰になったときも、一日は休みを貰って寝ていたので、今回もできればそうしたい。
そんな事を思ったが、布団の上に座ってみると、意外と痛くない。
そうだった。座ると痛くないんだった。
それで座ったままの姿勢で、妻の仕事の手伝いを再開した。いくつか荷造りが終わり、そのうち集荷に呼んでいた郵便局員がやってきて、荷物を持って去っていった。
日が暮れていた。二人で夕飯を食べに行くことにした。モスバーガーに向かう道すがら、「魔女の一撃」という言葉を思い出した。これはドイツ語でぎっくり腰をそう呼ぶのだそうで、先程、布団で横になりながら、ぎっくり腰について調べたときに出てきたのである。
それで、自分はさながら佛の一撃だな、と思った。
それというのも、最近腰に負担を掛けたことが無いか記憶を探った所、座禅をしだしたことを思い出したのである。あれで腰を伸ばして、じっと何十分も座っていたから、腰がおかしくなったのであろう。
佛の一撃。
あまり仏様には似つかわしくない言葉だが、これも禅の手荒い歓迎なのかもしれない。

ソフトウェア・プロジェクトのスケジュールを見積もり値と実績値で振り返ったら色々な事が分かった。

■ 当初の目的

ソフトウェアプロジェクトのスケジュールに対する見積もりを改善する。

■ やったこと

ソフトウェアプロジェクトのスケジュールを作成したとき、当初予定の工数、つまり見積もり工数を記録しておく。プロジェクトが終わったら、実際にかかった工数を実績値として記録する。ここでは当初予定工数を100%としたとき、± 30%に収めることを目標にする。

例えば、10日間のスケジュールが実際には12日間かかったとすると、これは120%の実績値となる。この場合、当初予定の+20%なので、目標の範囲に収まったことになる。

■ どうなったか

実際にやってみると、200%を越えるスケジュール遅延が頻発していることが分かった。

〇 遅延の原因

  • 本番障害により、リリースまでにかかった時間と同じぐらいの時間が障害対応に費やされた。この時は一度のパッチで修正しきれずに、二回パッチをリリースしている。
  • 修正箇所のソースコードがスパゲッティ状態だったため、修正に予定の二倍の時間がかかった。
  • データインポートを実施したが、インポートしたデータに誤りがあったため、作業そのものがやり直しになった。

■ 成果

この分析により、ソフトウェア開発プロジェクトのスケジュール遅延には、理由があることが分かった。原因を分析する中で、以下の事柄が明らかになった。

  • 障害が起きやすい作業は何か
  • 障害の発生源になっているシステム上の箇所。特定の箇所が多くの障害を引き起こしている。

■ 結論

予定と実績の比較には意味がある。それはシステム上の問題を発見できるためである。スケジュール見積もりの改善にも役立ったが、何より問題が発見できたのが良かった。

■ 今後

スケジュールだけでなく、予算や作業についても、予定と実績の比較をしてみると面白いかもしれない。予算がオーバーした原因は何か? 作業が予定と違ったとして、それは何が原因だったのか? 色々と分かりそうである。