野狐消暇録

所感を記す

寺田寅彦の文章

青空文庫で久しぶりに寺田寅彦の文章を読んでみた。
旅の文章や景色を書いた文章には精彩が無いと思う。その後にちらっと読んだ横光利一は目の当たりにするような生き生きとした景色の描写があり、さすがであった。
それに引き換え寺田寅彦の風景描写は観察記録のようで美しくないが、しかし、ここで一つ思い当たることがある。
それは寺田寅彦の本業は科学者で、観察、分析は科学の世界では有用であるということである。そう思って、寺田寅彦の文章を読み返すと、思い当たる節がいくつかある。
まず、理屈が連綿として長い。こんなに長いこと粘り強く論理を追う事は、普通の感覚ではやりきれない。綿密と言っても良いと思う。次に良く観察するという事である。こんなところに普通は気づかないという点を観察している。
つまり、寺田の随筆は科学的な態度を社会や身近な事象に向けたところに成り立つ文芸ではないかと思う。だから、自然描写に美しさを欠くのは偶然でなく必然であろう。寺田の文章で生き生きとしているのは論理的な、推理を述べる文章である。つまり科学的な文章が生きていて、それが面白さになっている。寺田寅彦の自然描写に美しさがないと不平を言うのは、蕎麦屋でカレーを頼んで、まずいというようなものだろう。頼んだ方が悪いのである。素直に蕎麦を頼めば良いのだ。