野狐消暇録

所感を記す

『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)を読んだ。

ドキュメンタリー番組の方を観たことがあって、この書籍版は後から読んだ。だから、内容はある程度知っていたわけだが、それでも面白かった。人の話でも、何度聞いても面白く聞けてしまうという事がたまにあるが、この話もそれに類する話らしい。映画でいうと、「ショーシャンクの空に」を思い出すような、長年月に渡る努力とその成果の話である。フェルマーの最終定理がテーマなのは、タイトルにある通りなのだが、フェルマーの最終定理を読者に説明するために、古代に遡って数学の歴史を追っていく。読者はフェルマーの最終定理を理解するための準備として数学の知識を学びながら、ピタゴラス教団の歴史や、ガロアの暴れん坊ぶり、谷山豊の悲劇まで、数学に関わる人々のエピソードを知る事になる。実際に数学書を読んだ方は知っているだろうが、数学書は1ページを読むのにも、それなりの努力と時間がかかる。しかし、本書は普通の書籍と同じスピードで読める。それは数式がほとんど出てこず、出てきたとしても、すぐに分かるようなものだけだからである。当然と言えば当然だが、フェルマーの最終定理の論文を読む事なしに、フェルマーの最終定理を理解することはできない。しかし、本書はフェルマーの最終定理の概要を丁寧に追うことで、フェルマーの最終定理を解くに至った数学者達の努力と情熱を明らかにすることに成功している。だから、数学を知らなくても、本書を充分楽しめる。kindle版は安いし、万人にお勧めできる。

ニンテンドースイッチ「ゴロゴア」をプレイしました。

YoutubeのNintendo公式チャンネルで「よゐこのインディーでお宝探し生活」を観ていたら、タイトルに挙げた「ゴロゴア」なるゲームをよゐこがプレイしていました。

ec.nintendo.comこれは面白そうだと思っていたのですが、ニンテンドースイッチを持っていません。しかし、奥さんが「買っていいよ」と言ったので、勇気を出して買いました。そして最初にやるゲームを買うに当たり、ゴロゴアを選び、遊んでみました。

やる前にプレイ動画を見ていたので、序盤は知っていましたが、中盤に進むに連れて、徐々にトリックも複雑化してきました。しかし、決して詰まってしまって、解けなくはなる事はありませんでした。行ったり来たり、試行錯誤を繰り返す事で、先へ進む事ができます。これは優れたゲームだと思いました。自分は「ゼルダの伝説」でもたまに詰まって進めなくなる事があるのですが、それはおそらく、選択肢がたくさんあって、どれが正解なのかが、プレイヤーに分からなくなるためだと思います。このGorogoaというゲームでは、プレイヤーができる操作が限られています。パネルをずらす事と、パネルの一部をタップする事だけです。パネルのタップできる箇所については、池に石を投げたときにできるような波紋で、どこがタップできるか、プレイヤーに知らせてくれますから、見逃すことはありません。パネルを置ける箇所も、全部で四か所しかないので、パネルの配置パターンも限られます。あるシーンで可能になる操作が絞らせているので、プレイヤーは適当に操作していても、先に進めるのです。

逆に言うと、このゲームは、プレイヤーが頭で考えても、分からないトリックがあると思います。ある程度、頭を働かせてパズルを解くのですが、完全に理詰めで解くというよりは、「こうかな?」ぐらいでパネルを動かしたりして「おっ、進んだ」というイメージです。手を動かしながら進める感じであって、動かす前に何か分かるかと言うと、誰も分からないだろうと思います。

ひとつ意外だったのは、午後の3時頃に遊び始めて、午後10時には遊び終わってしまったということです。そのぐらい短いゲームで、すぐに終わってしまいました。

しかし、このゲームはゲームと言っても、あるルールの下に得点を競ったりするタイプのゲームではありませんから、仕方がないように思いました。言ってみれば、美しい絵本のようなものでしょう。絵本を5時間もかけて読んだら、それは充分というものです。

紫陽花茶会

台風が近付いているらしく、大雨である。傘を差して総持寺を散歩し、平成救世観音にお参りする。家に帰り、坐禅をする。皿を洗って、抹茶の準備。余っていたマカデミアナッツをお菓子とする。

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お菓子の皿とか、もっと気が利いているものにしたいな。

 

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社内SEになった

去年12月に会社を変わって、商社の社内SEになった。

社内SEとは?

自社内で使っている情報システムの保守、開発をする仕事である。

自分の仕事

社内システムの保守、開発である。

前職ではプログラマとして働いていたが、プログラマとして開発に関わるのと比べると、以下の違いがある。

  • 担当範囲が広く、プログラミングは担当業務の一部に過ぎない
  • ソースコードだけでなく、インフラを含めたシステム全体を担当する。
  • システムユーザが社内におり、問題を解決するシステムを考えるところから仕事が始まる。

必要なスキル

アプリケーション開発スキル

弊社はベンダーに開発を外注しておらず、自社で開発を行っている。

社内SEが実装、テストを含めた開発作業を行うため、開発のスキルが必要だが、プログラマとして働いていたので、これは既に持っている。

システムの運用、保守

インフラチームは存在するが、サーバの運用、保守及びネットワークの保守を社内SEが担当している。この辺りは専門的な技術知識がない。不足しているスキルである。今は、IPAの試験「応用情報技術者」レベルの常識的な範囲の知識でお茶を濁している。

プロジェクト・マネジメント

社内開発のプロジェクト・マネジメントも社内SEが担当する。外部のベンダーに開発を外出ししているわけではなく、プロジェクト規模も大きくて1人月程度なので、それほどカッチリしたマネジメントが要る訳ではない。しかし、プロジェクト・マネジメントによって工数を抑える事ができれば、望ましいには違いないので、ある程度はマネジメントが必要である。自分は所謂上流工程の仕事をした経験がないので、不足しているスキルである。見様見真似でやってみている段階である。

業務分析

自分に一番欠けているのが、業務分析のスキルではないかと思っている。業務知識と呼ばれたりもするが、そもそも、業務上の問題をどうIT技術で解決するのか理解し、システムに落とし込んでいく部分である。

ここはシステム屋からみると、一番重要である。何も解決しないシステムを納品したり、使われない機能をリリースしたりすると、無駄になってしまう。

これからやること

不足しているスキルを身に着けるために、勉強していきたいと思っている。

業務分析とプロジェクトマネジメントが中心になると思っている。

それにしても、現状動いているシステムは、もっと綺麗にコードを書けるはずだ。

プログラマ出身なので、今はそんなところばかりが気になってしまう。

『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』を観た感想

元々、チャーチルが好きであった。かっこいいと思っていた。

ニクソンが書いた、政治家の回顧録『指導者とは』にチャーチルが「われらが時代の最大の人物」というような紹介をされていたし、チャーチルの伝記『チャーチル / イギリス現代史を転換させた一人の政治家』(河合秀和著)も読んでいて、ある程度、歴史としてのチャーチルは知っていた。

映画『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』は、実話に基づくとは言え、フィクションである。これはこれで観てみたかった。

実際観てみると、思ったより良かった。

チャーチルも、似せ過ぎない感じが良かった。体形は寄せているし、顔つきも似ているけど、良い意味でフィクションだった。

ちょっと気になったのは、チャーチルのライバルというか、敵役がチェンバレンハリファックス外相なのだが、本当に映画で描かれたように、彼らの対独融和政策は誤りだったのか、という点である。現在から振り返れば、対独戦争で英国を率いたチャーチルが英雄なのは分かる。しかし、当時の判断としてどうだったのか?

また、ラストシーンでチャーチルは自身の徹底抗戦路線に議会の賛同を取り付けるが、その議会の熱狂が議論の正しさを裏付ける訳ではない。熱狂と言えば、ヒトラーも熱狂を引き起こす事に成功していたのである。

結局、あまり映画の世界と現実を安易に結び付けても良くないという、つまらない結論が待っているだけなのであるが、事実を元にした映画だけに、「現実ではどうだったのか」という関心を呼び起こすところがある。

事実の映画への反映という点では、チャーチルが常に演説の原稿を用意していたのは史実である。チャーチルが演説の原稿を作る場面が映画で多く出てきて、ちゃんと調べて作っているな、と思った。チャーチルは回顧録を書いているし、おそらく自分の気付かない、知らない史実も、たくさん映画に反映されているのではないかと思う。

これは映画を観たあと、ブログに書かれた批評を読んでいて気付かされたのだが、確かにセットもなかなか良かった。国王の部屋は豪華だし、街中の様子もちょっと出てくるだけだが、上品に描かれていて良かった。全体的に、画面が上品だったように思う。

「私たちは、街で、浜辺で、丘で戦う」とか、「自分が捧げられるのは、血と労苦と涙と汗だけだ」とか、お馴染みの演説も出てきて、チャーチル好きは、「ここで出てきたか」と思うだろう。「血と労苦と涙と汗」はすっかり忘れていたが、「街で、浜辺で、丘で戦う」は、「いつ出てくるだろうか? ラストかな?」と考えながら観ていた。この映画とは関係ないが、東西冷戦の時の「鉄のカーテン」はチャーチルの言葉らしい。やっぱり、文学的なところが、チャーチルにはあったのだろう。

自分としては、観て損がない映画だった。

人に薦められるかと聞かれれば、こう答える。

チャーチルが好きなら観よ! そうでなければ、君に任せる!」

『メグレと老外交官の死』を読んだ感想

メグレ警視シリーズは大好きである。出会ったのは、自分がまだ二十歳頃だったろう。自分は、ちょっと草臥れた、それでいて犯人を捕まえる名警視であるメグレが好きだった。メグレは奥さんを愛していて、二人で仲睦まじく暮らしていたが、その様子は華やかなというよりも、しっとりした感じであった。

メグレは捜査中、良くアペリチフを飲んだ。自分はお酒を飲まないので、それがどんなお酒か分からないが、食前酒という意味だそうだから、軽い、ワインのようなものかもしれない。事あるごとに酒を飲むメグレも、なかなか魅力的であった。

小説の中身は、市井の人々の暮らしの中で起きた事件を捜査する中で、関係者の人生が浮き彫りになるという趣向であった。しかし、二十歳の頃の自分は、専らメグレ警視の魅力に惹かれていたように思う。

最近、kindleメグレ警視シリーズが安く売られているのを見つけて、久しぶりに読んでみた。最初に読んだのは、『メグレとベンチの男』で、次に読んだのが今回感想を書く、『メグレと老外交官の死』である。

 

あらすじを紹介すると、まず、老外交官が死ぬ。この外交官の死の真相をメグレが追うのだが、調べていくと、老外交官が上流社会のちょっとした有名人であった事が分かる。それは、外交官が、人妻と恋をしており、もう長い間、恋文のやり取りを続けていたためである。その事は、上流社会の中では周知の秘密になっていて、人妻の夫もこの事を承知していた。外交官はお金がなかったため、家柄のある恋人を妻に迎える事ができなかった。恋人は止むを得ず、今の夫と結婚した。外交官と恋人は手紙のやり取りを続けたが、それが他愛のない、子供の文通のようなものである事を知っていたので、夫はその文通を許した。

メグレは、この童話のような話に戸惑いを覚える。このような世界を実際に生きている人にリアリティを感じられなかったのだ。

メグレは捜査を続け、最後には事件の真相を掴み、事件は解決する。

事件は、メグレが信じられなかったにしろ、昔話のような世界を実際に生きている人達が、自分達の世界観に於いて行動した結果、起きた事だったのだ。

 

自分がこの本を読んで感じたのは、メグレ警視の魅力ではない。この小説は、徹底して人間への関心に基づいて書かれているという事である。メグレ警視も、殺人事件も、人間観察を描くための装置に過ぎない。この小説の関心は、一時代前の、古い時代の夢を今もなお生きている人への関心にある。

そういう人が、時代のリアリティからずれていて、もう現在を生きている人が共感できる枠の外にいるにしても、その事は彼らがいてはいけない事にはならない。彼らは自分達の世界で確かに生きている。この小説は、メグレの目を通して、そういう人がいるという発見を描いている。