野狐消暇録

所感を記す

今日の独服

冷蔵庫にお抹茶があるから、今日もお茶を点ててみた。

 

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  • 主茶碗  三島焼
  • 菓子器  リラックマ ローソン
  • 主菓子  どらソフト イタリア栗の和もんぶらん セブンイレブン
  • 抹茶   さみどり

薬缶でお湯が沸いているから、念のため鍋つかみも用意して、火傷しないようにする。

前回は主茶碗にリラックマを使って、碗の薄さに手が熱かったが、今回はちゃんとした茶道具の茶碗だから、平気だろうと思う。

お茶を点ててみる。

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割と濃く点てたつもりだ。

飲もうとしたが、やっぱりお碗が熱い。

どうにもならないので、水を注いで湯を冷ます。

お茶を点てる時のお湯は沸きたてでは駄目だ。

先にお菓子を食べてみる。

一口食べて、不味いと思った。しょうがないので、最後まで食べたが、どら焼き部分はなかなか旨い。

考えてみると、自分は喫茶店でも、モンブランを頼まない。元々あまり、好きではない。モンブランは栗のケーキだが、これを食べるくらいなら、栗をそのまま食べたい。甘く煮た栗は割合食べられるけれども。

まぁ、コンビニのお菓子だから、しょうがない。

お抹茶も飲もう。

一口飲んだら、こっちは本当に美味しい。体にお茶の温かさが染み渡る。

やっぱりお抹茶は美味しい。

週末にまた点てよう。

 

Matzこと、まつもとゆきひろさんの講演を聞いた

株式会社ビジネスバンク主催のrubyイベントに参加した。

rubyの生みの親、まつもとゆきひろさんの講演が聞けたので、忘れないようにここにメモする。

 

技術の未来を考えるとき、2つの可能性がある。

1つは過去から現在へ続いてきた技術の流れがそのまま続いていくこと。

もう1つは、革新的な変化が起こり、新しい技術が使われるようになること。

後者の例は、量子コンピュータや、汎用人工知能が考えられるが、予測ができず、たまにしか起きない。

そこで前者の、現在の流れが続いた場合を考えてみる。

Webアプリでクライアントサイドの比重が高まる。

Webアプリを作る際に、クライアントサイドに多くの仕事をさせる流れがある。

  • シングルページアプリケーション
  • Web API

クライアントのJavaScriptでほとんどの仕事をさせ、サーバサイドはWeb APIJSONを返すだけにする。

これはサーバサイドでページの整形までやり、クライアントではブラウザがレンダリングするだけという設計とは異なるアプローチである。

マイクロサービス的であるとも言える。

Isomorphic(アイソモルフィック)

これもWebの話。サーバサイドとクライアントサイドで同じ言語を使う。

一番分かりやすいのが、クライアントでJavaScriptを使い、サーバサイドもNodeを使って書くこと。

Rubyでもやろうとすればできる。Opalというruby処理系があって、Rubyでクライアントサイドを書き、JavaScriptに変換して使える。

rubyの速度の問題

rubyは確かに遅いが、事業アプリのボトルネックはネットワークかDBがほとんどであり、プログラミング言語が問題になることはまずない。DBならクエリの書き方が悪いとかである。

 

※自分の感想

確かに、事業システムの性能問題は、トランザクションデータが大きくなることによって発生することが多い。自分の現在保守している顧客管理システムもそうだ。

事業システムのデータ量増大の問題は、マーチン・ファウラーが『アーキテクチャ・パターン』の前書きで書いていて、読んだ事がある。

しかし、自分が巨大なシステムでrubyを使う事を不安視してしまう理由は、性能ではない。rubyは静的型チェックが効かない。コンパイル時のチェックがないのが不安だ。

今思うと、質疑応答の時間が長く取ってあったから、質問してみても良かった。

マルチコア、クラウドベース

これはそのまんまの話。

rubyの得意分野

プロトタイプを作ったり、試行錯誤するフェーズが一番得意。

何を作るか分かっていて、ウォーターフォールで作っていくような場面ではなく、作ってみて動作を確認し、またちょっといじってみるといった場面が一番向いている。

昔はrubyで最初作ってみて、本格的に作るとなったら別の言語でというやり方が多かったが、今は性能の進歩で、プロダクションもそのままrubyで作って問題ない事が多くなっている。

その他

mrubyを作った時には、もっと組み込みシステムで使えるメモリが増えると見込んでいたが、そんなに増えなかった。それで、rubyを載せてもらえる状態にならなかった。

 

感想

視野が広い人だな、と思った。

自分は日頃Webアプリを作っていて、本当にそこしか知らない。

組み込みとか、CPUとか何も知らないでやっている。

しかし、そういうマシン側にも目を配っていて、話としてはあまり出なかったけど、ちゃんと知っている感じだった。

コンピュータが人に仕えるべきで、人がなるべく楽をできるように考えてrubyを作っているそうで、元々プログラミング言語というのがそういうものだから、その通りにやっているという事なのだが、本人の口から聞くと、ちょっと感動する。

お腹が途中で空いてしまって、軽食のピザをかなり僕が食べてしまった。

テーブルで相席になった方、ごめんなさい。

家で茶を点てる

和室の部屋に住んでいる。

今まで、お茶を点てたことはなかった。

座禅をするようになって、お茶を点てたくなり、近所のお茶屋さんで、抹茶を買ってきた。

リラックマの碗を用意して、これを主茶碗とする。妻がローソンのキャンペーンで貰ってきたものだ。

茶筅は以前買ったものが見つかった。しかし、あるはずの茶杓がない。すぐに見つかりそうにないから、スプーンで代用することにする。

釜は最初から諦めている。畳の上に台を置き、湯を沸かした薬缶を置く。

この部屋で涼しいのは、窓の近くだ。その辺りに座ることにして、一式揃えてみた。

もちろん、茶道具としては揃っていないが、今揃う分はこれで全部だ。

買ってきた抹茶の缶を棗の代わりにそのまま置いた。

 

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さて、お茶を点てよう。

点ててみた。

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飲んでみる。

熱い。熱過ぎて飲めない。

そもそも、お碗が持てない。これはリラックマ茶碗が薄くて、手に熱さがダイレクトに伝わってしまう問題もある。しかし、それよりも湯の温度が高過ぎる事が問題だ。

それから、やや湯を入れ過ぎたようにも思う。抹茶が薄い。

これは失敗と言っていい。

 

自分はお茶が冷めるのを待つことにした。 

外をみると、くすんだような青空に月が出ている。

網戸を開いて月を観た。

 

網戸開け

月を愛でつつ

お茶冷ます

 

句もできた。

お茶が冷めてきたので飲む。

蚊が入るといけないので、網戸はすぐに閉めた。

お茶はぬるくて飲み易い。先ほど薄く点ててしまったが、こうなると飲みやすくて良い。

碗の底にダマになったお抹茶が残ってしまったので、もう一度碗に湯を注ぎ、お茶を点てて飲んだ。今度は、薄いも薄い、ほとんどお湯である。

たまにお茶をやってみたがやっぱり愉しい。

今度櫻門茶会にもお運びで参加することになっている。

楽しみでならない。

『隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』を読みました。

この本の主張は3つある。そのうち2つは、サブタイトル「ベーシックインカムと一日三時間労働」にあるように、最低所得保障と余暇の大幅な拡充である。もうひとつは国境の開放により、人の移動の自由を実現する事である。

 

以下、簡単にまとめてみる。

① ユニバーサル・ベーシック・インカム

ユニバーサルという語は「誰でも、無条件に」という意味を強調するためについているるだけで、要は最低所得保障制度の事である。

最低所得保障制度とは、政府が国民に対し、生活に必要な最低限のお金を配る事で、国民の生活を保障すると共に、現在の複雑化した社会保障を整理し、様々なコストを削減できるとする制度である。

② 一日三時間労働

これは余暇の拡充を指す。

やり方としては、生産性の向上を生産量の拡大ではなく、余暇の拡充に向けるというものである。

著者の認識としては、現在技術の進展により、所謂中間層の仕事が徐々に減ってきている。仕事が減って生じた「ヒマ」は要するに失業であり、望ましくない事ではない。しかし、ベーシックインカムが行き渡れば、失業を余暇として使えるようになる。人は余暇を自分の望む活動に回せるので、社会が活性化する。もちろん、過労により健康を損ねることもない。

③国境の開放

国境を開放することにより、人の移動の自由が実現する。このことは世界経済の発展に繋がり、さらに貧困の撲滅に繋がる。

現在、物、金、情報は世界中を飛び回っているが、人の移動だけが自由ではない。生まれた国によって生じる不公平を是正するためにも、人の移動の自由の実現が不可欠である。

 

著者の主張を読んで、感じた事は以下である。

  • 著者は「平等」の実現を中心に置くが、同時に「自由」も実現される。

著者は左派の論者として上記の主張をしている。だから、自由の実現のためではなく、平等の実現に重きを置いて論を進めているように思うが、結局のところ、自由の実現にもなる。なぜなら、ベーシックインカムは「平等に」配られるが、それは人を労働から解放し、自由にするものだからである。国境の開放も、世界を単一の市場にしようとするグローバル化の流れに沿ったものであって、自由化と矛盾するものではない。

 

  • これはユートピアというより、経済学の論理的な帰結ではないか?

この本は、現在の世界には展望が欠けていると述べ、新しい世界の提案として、上述の改革案を書いている。その際、「ユートピア」を描こう、という言い方をしている。それは著者の思いだから、別にいいのだけれども、そういうモチベーションが仮になくても、経済学の知識を使って社会を構想すると、必然的に上記の結論が出てくるのではないかと思う。

経済学では、自由市場の利益と同時に、所謂「市場の失敗」を回避するための政策の必要性を説いている。著者の説く国境の開放は自由市場の実現そのものであり、ベーシックインカム労働市場による富の再分配の失敗をカバーするための、最も合理的な解決策の提案であると考えられる。余暇の拡充については、ベーシックインカムが実現すれば、自然と実現するかもしれない。そうなれば、もちろん、政府が直接関わる必要はない。

 

著者の主張は、平等の実現に深い関心を持つ点で、左派らしい視点で書かれた経済の構想である。しかし、主張の内容に於いては、所謂不合理な点もなく、経済学的に自然な提案であると思う。

パソコンとルータを売る。

パソコンはディスクエラーを起こしており、正常に起動しない。もう復旧する事は諦めた。新しいDELLのパソコンを通販で購入し、Wi-Fi用の無線LANルータもインターネット回線を速くしたのに合わせて、新しく買った。パソコンと周辺機器が一通り新しくなり、古い故障したパソコンと使わない無線LANルータが残った。これをどうしようか?
自分は売ってみようと思った。近所のBOOK-OFFでも引き取ってくれそうだが、個人で品物を売買してみたいと思った。ネットで調べると、パソコンの買い取り業者がいる事が分かり、見積もりを依頼した。
「ごみパソ」という故障パソコンの専門業者は、自分のパソコンを1100円で引き取るという。一方、「高く売れるドットコム」はパソコンに値段をつけてくれず、0円である。無線LANルータは「ごみパソ」で聞いたところ、0円だった。無線LANルータは故障していないから、これは意外な結果だ。それはそれとして、自分としては、値段をつけてくれた「ごみパソ」に売る事に決めた。
売却したい事を「ごみパソ」にメールで伝えた後、先方から指定された書式で買取承諾書を書き、いよいよパソコンとお別れする事になった。FUJITSUのESPRIMOというシリーズの製品で、パソコンのディスプレイと本体が一体になっている。そのために、パソコンのディスクエラーと同時に、ディスプレイともお別れする事になってしまった。これが残念で、自分は新しいパソコンを本体とディスプレイ別々に買ったのである。
さて、お別れするに当たり、パソコンを段ボール箱に詰めて、蓋をしなければならない。しかし、家をくまなく探しても、適当な段ボールがない。仕方がないので、自分は段ボールを買おうと思った。
オリンピックというDIYの店に行き、段ボールを見てみた。そんなに高くはない。300円ちょっとだ。しかし、自分がこのパソコンを売って手に入れるお金は、高々1100円に過ぎない。300円の段ボールですら高く感じる。何より「儲けが減る」感じに耐え難い苦痛がある。
ただで段ボールを手に入れたい。もちろん、その方法はある。
スーパーやコンビニの人に頼んで、不要な段ボールをただで譲ってもらえばいいのだ。流石に自分もそのぐらいのことは知っている。しかし、何か物をただでもらおうというのは、ちょっと卑しいのではないか。気にする事はない、気にしなくていいという人がほとんどだろうが、自分としては、ちょっと嫌であった。今振り返るに、自分はお金を儲けようとしている。そのために、ただで段ボールを手に入れようとしている。これがただ友人に荷物を送る段ボールを探しているのだったら、ここまで引け目を感じなかっただろう。
どうしようか。
行こうか、行くまいか?
自分は、やっぱり、ここは買おうと思い、まず、オリンピックから家に帰り、自分の持っている故障したパソコンの大きさをメジャーで測る事にした。段ボールを買うにしてもサイズがあるので、どのサイズを買ったらいいか知るために、そうしたのである。
測ってみて、それから、もう一度、ごみパソのサイトを見てみた。梱包の仕方の解説が載っている。ここになんと、「スーパーやコンビニなどで、いらない段ボールをもらってくる」と書いてあるではないか。「パソコン 梱包」というキーワードで検索をかけると、他のサイトでも大体、段ボールをもらって来いとある。
「そうか、段ボールをもらうのは『公式なやり方』なんだ」
自分は意を強くした。僕がやろうとしたことは、現在の日本で当然と見なされる行為なのだ。他の時代から見てどう見えるか分からないが、現代以外の時代の人の目線まで、気にするには及ばぬ。
それで、問題は、段ボールの大きさだ。もらってくるにしても、そんじょそこらの段ボールでは、我がFUJITSUのESPRIMO君は収まらぬ。
自分は決心した。
ESPRIMO君と共に行く事を。
自分はESPRIMO君を小脇に抱え、アパートを出た。最初に向かったのは、近所のミニストップだった。しかし、店外に段ボールが見えない。ここにはないかもしれないと思い、自分はミニストップを通り過ぎた。
そして、交差点を曲がり、商店街を進んだ。この先にイオンがある。そこには段ボールがありそうだと考えたのである。
イオンに着く前に、それはあった。ドラッグストアの店外に、段ボールがたくさんまとめられていたのだ。自分は意を決して店員に声をかけた。
「すみません」
「はい」
「もし可能だったらで良いのですが、こちらの店でいらなくなった段ボールを、譲っていただく事はできませんか」
自分は、少し前から、この台詞を頭の中で作って、用意していた。それを言ったのである。店員はざっくばらんというか、気安く「持って行っていいですよ」と言ってくれた。
自分は店の外にまとめられていた段ボールを物色し、脇に抱えているESPRIMO君が収まりそうな一枚を探した。さして時間もかからず、それは見つかった。人通りはあったが、商店街から少し横道に入った路の端に自分は行き、ESPRIMO君を段ボール箱に収めてみた。入った。問題ないと自分は思う。
しかし、ちょっと段ボールが大き過ぎる。しかし、それはまた考えようではないか。まずは、入る段ボールが見つかったとなれば、話は七割方解決なのだ。自分はその段ボールをアパートに持ち帰った。そしてどうしたら良いか、思案した。
段ボール箱が大き過ぎる。この段ボールでは、何も入っていないスペースがたくさんできてしまう。
こんな時は、ネットで検索だ。
探すと、大き過ぎる段ボール箱をカッターで切って小さくする動画が見つかった。自分はほっとした。もう何も困難はない。この動画の通り、そのままやれば、段ボール箱は小さくなるし、小さくなれば、ゆうパックで送れるし、ゆうパックで送れれば、送料は着払いになるのだ。これは「ごみパソ」の決めたルールで、そうなっているのである。自分は一銭も払わずに、1100円を手に入れられる。
自分は安堵から、実際の作業になかなか手を付けようとせず、家の畳の上でごろごろしていたが、やっと立ち上がり、作業を始めた。
まず、必要な大きさを決め、マジックペンで印を付ける。次に、印に沿って不要な部分をカッターで切り落とし、必要な部分だけ残す。あとは、ガムテープでしっかり止めれば、必要十分な大きさの段ボール箱が完成である。
自分はESPRIMO君を段ボールに詰め、値段が付かなかった無線LANルータも詰めた。買取承諾書と、わずかに残っていたパソコンとルータの説明書のようなものも、一緒に詰めた。空いたスキマには、くしゃくしゃにした雑誌の紙を入れた。蓋をしてガムテープで留め、梱包が終わった。自分はこれを持って、まずミニストップに行った。すると、「ゆうパックはやっていない」という。親切な店員で「ゆうパックなら、ローソンか郵便局だよ」と教えてくれた。なんという世間の暖かさであろうか。お金を貰うのは自分であるにも関わらず、店員は僕に教えてくれたのである。
ローソンで荷物を送ると、何事か成し遂げた気になった。
もちろん、自分は知っている。時給換算すれば、なかなか割が悪い事を。自分はもう、一時間どころか、半日かけている。半日働いて1100円では、国の決めた最低賃金を下回ってしまう。しかし、自分は物を売ってみたかった。そういう経験が得られて、お金も一緒に得られるとなれば、そこに何の文句があるだろうか? テレビのCMではないが、今日の経験はプライスレスである。だが、そうは言っても、こんな事も思った。右から左に商品を流して、それでお金がもらえるなどという事はない。慣れれば違うかもしれないが、物を送るのにも、それなりの手間がかかる。経済学で言うではないか。ただの飯はない、と。