観雀堂日録

炎天下 痩せた雀が 低く飛ぶ

詩の会「ポエトリーカフェ」を訪れる

 遅く目が覚めた。今日は久しぶりに詩を読む会に行く。昼頃家を出て、王子に向かう。会場は古書カフェ「くしゃまんべ」である。JR王子駅で下車し、会場に向かう途中、道に迷った。スマホGPS機能がうまく動作してくれないので、地図上での現在位置が分からなくなったのである。歩道橋のかかった大きな交差点の脇の歩道に、警官が自転車を止めていた。警視庁の文字が見える。思い切って道を聞くと、かなり近くまで来て、通り過ぎてしまった事が分かった。引き返して大通りを渡り、道路に面した銀行の脇の路地を進んでいくと、カヒロさんに会った。カヒロさんは以前神保町の喫茶店で会が開かれた時、詩の朗読にギターで伴奏を付けていた方だ。一緒に会場に向かうと、途中で顔馴染みの参加者が路地の反対方向からやってきて、無事会場の喫茶店に着いた。

中に入ると、壁に本がぎっしりと並んでいる。古書だろうと思う。寺山修司の文庫本がある。参加費を払って、なんとなく木の椅子に座る。机の上は会で配る冊子をまとめているところだった。壁の本を見たり、主催のPippoさんと話したりしていると、時刻が来て会が始まった。

 取り上げられた詩人は西尾勝彦という方で、いつもと違い、現代の詩人である。僕が今まで参加した回では、堀口大學萩原朔太郎といった、一昔前の詩人を取り上げていた。紹介された詩は平明で、子供や妻とのやりとりから材を得て書かれたものだったり、奈良の自然に触発されたものだったりした。作者が個人で作成して配った詩集をPippoさんが見せてくれて、これが興味深かった。字が手書きなのだ。活字に慣れているので、面白く思った。

この会では、Pippoさんが詩人の経歴を紹介しながら、当時作者が書いた詩を参加者が順番に朗読していくのだが、配られたレジュメの中に、経歴と一緒に作者の好きな作家やアーティストが挙げられていた。ここに老子荘子、ヘンリー・D・ソローが挙げられていて、そういう少し現実の中心から離れた生活や思想に共鳴するところが作者にあるようである。奈良に住んでいるのも、自然が多く、ソローの「森の生活」に惹かれた作者に合っていたかららしい。

特に興味を持っている人を除いて、詩の朗読は、大人になってする機会がまずないだろう。会では参加者が一篇づつ詩を朗読するのだが、人によって読み方が違うのが面白い。そういえば、小学校の国語の授業で、先生に指されて朗読させられた時も、速く読む人やゆっくり読む人、小さな声で読む人、抑揚をつける人など、色々いたように思う。自分は抑揚をつけて読む方だった。詩の朗読は、抑揚がある方が好みである。

読んだ詩にはユーモアがあり、静かな、純粋なものが感じられた。

後半で紹介された最新の詩集「耳の人」はそれまでの詩と趣向が変わり、「耳の人」という謎の人物を巡る短編小説風乃至短編映画風の作品だった。耳の人と出会い、格言めいた言葉に耳を傾け、一緒にお酒を飲む。これはこれで面白いし、同じような方向で色々な作品がこれから生まれてくるのではないかと思った。ちょっと編集者のような事を考えてしまったが、実際人気がある詩人らしい。あまりそういうアンテナがないので、知らなかった。

お腹が空いてきて、お茶漬けを食べた。食べたのは、会が終わってからではない。カフェと言いつつ、くしゃまんべでは丼物を扱っていた。奈良在住の詩人を取り上げたので、特別フードとして当日提供された、奈良漬けのお茶漬けを食べたのである。人が食べているのを見て、食べたくなったのだ。お腹が空いたのも、人がご飯を食べているのを横から見た事で気がついたのである。奈良漬けの味噌が美味しかった。

会が終わってから、アボカド御飯も少し食べた。他の参加者の方が注文したのだが、量が多かったので、分けてもらった。これはアボカドと油揚げ、醤油ポン酢のようなたれでご飯を食べるものだ。

話が飛ぶようだが、このところ僕は結婚しようと思い、結婚相談所でお見合いを申し込んだり、お洒落に気を使ってみたり、日々努力を重ねている。その事をTwitterで呟いているので、同じくTwitterをやっているPippoさんが見て「どうなの?」というような話になり、思っている事を述べた。

「なかなか簡単にはいかない。急がば廻れではないが、少しづつお付き合いを始めて、結婚まで行くと考えた方が、却って早いのではないか」

外に出ると、日が落ちていて、肌寒かった。王子駅は簡単に見つかり、復路は迷わなかった。理由は明らかである。富士山が見える所に住んでいても、富士山から自宅は見えない。大きなものはすぐに見つかり、小さなものは見つけにくいのだ。カヒロさんもくしゃまんべは以前にも来たが、王子は似た小道が多いので、迷いやすいと言っていた。確かに、同じような風景が多いことも、道に迷う原因になり得る。

つい先週か先々週、ダウンジャケットを買った。会社に着ていくコートは持っていたのだが、私用で出かけるときに着る冬用のアウターがなかったのだ。厚手のセーターはあったが、流石に買って良いのではないかと思い、買った。ダウンジャケットは暖かくて気に入り、出掛ける時はいつも着ていた。しかし今日はそれが裏目に出てしまった。王子駅で電車に乗って席に座ると、暖房が入っていた事もあり、眠たくなってしまったのだ。うとうととしてはたと起きると、自宅の最寄り駅を過ぎていた。

京浜東北線新子安駅で降りた。僕は電車で寝過ごしたり、間違って下車駅を通過してしまう急行に乗ったりすると、行き過ぎた先にある予定にない駅で一旦降りる。これは損をした気にならないためと、そのまま引き返して駅員に乗車料金の不払いを指摘された事があるためである。

新子安駅の周辺はあまり栄えていなかった。住宅は多そうだ。以前東京都写真美術館に行った時に気がついたのだが、作家の作品に浸かってから外に出ると、その作家の視線が自分に乗り移り、世界が違って見える事がある。この時も、詩人の目で外の世界を見ているような気になった。高架を走る京浜東北線の音や、駅の改札を出て、せかせかと階段を降りてくるスーツの男が、詩情ある風景の中に点綴された。