野狐消暇録

所感を記す

鴎外作「護持院原の敵討」を読む

この作品を以前読んだ時、特に気になったのが、宇平であった。

宇平は敵討ちの旅の途中で、自分は敵に会えるかどうか分からないまま、このような旅を続けるのは止すと言って、姿を晦ましてしまう。宇平がいなくなってすぐ、敵の居場所が分かり、敵討ちは果たされる。敵を討ったとき、一人が言う。

「ここに宇平がおりませんのが」

と。

この台詞が作品を読み終わってかなり経っても、頭の中に引っ掛かっていた。

読み返してみて、ずっと思い違いをしていた事に気が付いた。

「ここに宇平がおりませんが」

という台詞だと思い込んでいた。この台詞は、江戸にいて、ずっと敵討ちの相手が見つかるのを待っていたりよという宇平の姉が言う台詞なので、旅の途中で宇平がいなくなった事を知らず、宇平はどうしたか、どこに行ったかと問う台詞だと解釈したまま、ずっと覚えていたのだ。本当はそうではなく、ここに宇平がいなくて残念だ、という意味であった。

ここで宇平を巡りつつ、道徳を考えてみようと思う。

作品の舞台となっている江戸では、主人が討たれた場合、敵討ちをするのが道徳になっている。主人公達はこの道徳に従い、敵を討つ。筋はそれだけである。

現在はこのような道徳は存在しない。敵を討たなくてよい。それは司法の仕事であり、法に従って処罰される。

宇平は現代人から見れば、なんという事はない、至極尤もな意見を述べ、敵討ちを取り止めている。しかし当時の人間からすると、宇平は道徳に従う事を放棄した人間である。

自分が考えるには、もし主君が討たれても、敵討ちをしなくて良いと思う。そうではなくて、主君の仕事を引き継いで進めていけば、それで充分追悼なり、報恩なりになるのであって、それ以上の事はいらないと考える。これは自分一個の考えだが、それなりに筋は通っているつもりである。

しかしもし、江戸時代に暮らしていて、敵討ちが当然であるような道徳的世界であったらどうだろうか。自分の考えを通せるだろうか。通せないだろう。強いて通そうとすれば、宇平のように、道徳的敗者として生きる他ない。

自分の生きている現代は、江戸ほど厳しい道徳的要請はない。しかし、同じような道徳が社会的に要請されるようになったら、微温的とも見られる自分のような態度が許されるだろうか。

宇平の事が特に気になったのは、上述の考えが頭を掠めたためである。