野狐消暇録

所感を記す

今年の抱負(2019年)

◆ 去年を振り返って

正社員になった

正社員という立場になって一年が経った。

色々経験させてもらったけど、一番感じるのは正社員という働き方が派遣社員とは全然違うということ。

派遣社員に比べて仕事の範囲が限定されていない点が働きづらいが、その分、色々な経験はさせてもらいやすい。開発管理の経験を派遣社員の世界でやるのは、自分には難しかったと思う。そういう立場に立つには実務経験が求められるが、自分にはその経験がなかったからだ。正社員だからこそ、プログラマだった自分が開発管理をやらせてもらえたのだと思う。

ただ、やはり仕事の範囲が決まっていない事による居心地の悪さは間違いなくある。

仕事の範囲が絞られていないと、誰がどこまでの範囲に責任を持てばいいのか分からない。「日本の組織は無責任」と言われるけど、それはそもそも責任の範囲を決めていない事が原因なのではないかと思う。誰も全ての仕事に責任を持つことはできない。それができるのは、社長ぐらいだろう。だから、当たり前に業務を行っているつもりである日突然、「自分の責任を果たしていない」と責められることがないとは言えない。元々、仕事の範囲が決まっていないのだから、知らない仕事がいつの間にか「自分の仕事の範囲である」事になっていて、その仕事の成果を要求されるケースは有り得るのである。それで困るのである。多分、これからも困るだろう。これは働き方の問題だから、僕一人では大した解決はできないと思う。

◆ 今年の抱負

○ ポータブルな技術

自分は正社員として働いているのだが、会社としては会社の中核を支えるような社員を育成したい。そういう希望を受けて、自分もその線に沿って働いていっている。それはそれでいいと思うのだが、会社というのは、いつ傾くか分からない。また、自分も自分や家族の事情で、いつ転職を強いられるか分からない。要するに、ずっと今の会社にいる前提で考える訳にはいかないと思う。何かあった時、その先の責任を会社が取ってくれるわけではない。「自分で何とかしてね」という話になるに決まっている。

だから、会社で経験を積ませてもらえるのは大変ありがたいからそのまま積んでいくとして、自分なりに他に行っても使える技術を身に付けたいと思っている。

英語や中国語、会計、開発管理などで、資格を取ったりしてみたい。

○ 禅

自分は昔から仏教に関心を持ってきた。そして、時々はお寺の坐禅会にも参加してきた。しかし、もうちょっと踏み込んで取り組みたい。せっかく定時で帰れる職場なので、もっと自分のやりたい事に時間を使っても良いと思う。

今年は坐禅会にも積極的に参加していきたいと思っている。そして見性を目指すのだ。

「伊豆の踊子」を読んだ。

有名な小説なので、読もうとして読みかけた事は確かあったと思うのだが、何も惹かれるところがなく、途中で読むのを止めたか、飛ばし読みして終わりにしてしまっていた。今回、眠れない夜の友として、Kindle岩波文庫の『伊豆の踊子』を買い、読んでみた。

まず、文章が素直でひっかかりがなく読める、教科書のような文章である。流麗であるとも言えそうである。固有名詞が多いので、「取材旅行に行って書いたのだろうか」と読んでいる最中に思った。しかし事実は、著者自身の後書きによれば、実際の経験に基づいているとの事である。

良いと思ったのは、旅芸人への周囲の人間の差別が良く分かることと、差別のない主人公の振る舞いに、旅芸人達が親しみと好感を覚え、次第に親しくなる経緯が良く分かる事である。こういうことは誰しも経験があるのではないか。自分に隔意なく接する人には好感を抱くということである。

しかし、いまいち理解できなかった点もある。それは物語の後半で主人公が寄宿舎に帰る事になり、旅芸人と別れた後、船の中で涙を流す場面である。旅芸人との別れが寂しいというのは頭では分かるが、涙を流すような気持ちになるというのが、いまいち分からなかった。主人公は20歳の高校生と書かれているが、これは今日でいうところの、東大の教養学部に在籍している学生らしい。旅芸人になりたいわけではないだろうし、何か自分とは別の暮らしに対する郷愁のような感情なのか。或いは、自分に恋情を抱いた小さな女の子を残して去る事の悲しさなのだろうか?

なにかこの、複雑な味わいというか、ここの主人公の涙が分からないというのは、作品の鑑賞上、最も重要な箇所を理解できていない、という事になりはしないだろうか? 自分の鑑賞力の不足が恨めしいのである。

それから、著者自身が後書きで書いているのだが、川端康成は「伊豆の踊子」を一旦書き上げた後、「この作品には景観描写が足りないから、景観描写を追記して書き改めよう」と考えた事があったそうである。

実は自分も読んでいて、わりとばっさり場面を飛ばすなぁ、と感じたところはあったのであるが、ただ、それを「景観描写の不足」とは感じなかった。むしろ、これだけ省略したのに、ちゃんと土地の風俗や景色が見えるのは流石だなぁ、と感心していた。なので、作家さん的には不満があったのかもしれないし、「景観描写追加版」の「伊豆の踊子」を読みたいかと聞かれると読みたい。でも、追加の景観描写が無くても、「伊豆の踊子」は確かに完成していると自分は思う。この版の「伊豆の踊子」で充分均整のとれた作品であるように感じる。

あと、これはツッコミに類する話かもしれないが、主人公に恋している中学生ぐらいの年の踊子に「活動に連れていって」と言われ、主人公は踊子を映画に連れていこうとするのであるが、一緒にいた他の若い女の芸人二人が行けないので、踊子一人を連れていこうとする。すると、リーダー格のおばさんの芸人が「一人で行くのはダメだ」と言って踊子を止める。主人公は「なぜダメなんだろう」と不思議な気持ちになるのであるが、もちろん、若い男女を二人きりにして、手を出されたら困るからというのが理由だろうと思う。考えたら、この辺りも、物語の鑑賞上、ちゃんと押さえるべき点なのかもしれない。著者はわざわざその場面のちょっと前に、踊子の肩を軽く叩いた鳥屋の男に「ちょっと気を付けて。まだ生娘なんだからね」とおばさんが文句を言うシーンを挿入しているからである。つまり、読者には理由が分かるように書いておき、主人公にはそこで、不思議な気持ちになってもらったのである。主人公は、無邪気な子供の心に釣り込まれて、大人の考えから離れ、純粋な気持ちになっているのだ。そういう表現なのだと思う。

こうして書きながら振り返ると、主人公は題名通り、「伊豆の踊子」であるのかもしれない。その踊子は旅先で会ったために、理想化されているのだが、理想を描く事ができたので、芸術としては充分なのだと思う。

このはな会秋季茶会

この花会の秋季茶会は、看月庵のお茶会で、護国寺で開かれる。

I先輩がお免状を取るときにお邪魔した気がするが、その時以来かもしれない。

百何周年の記念の茶会だから、学生も席も持ったらどうかと勧められたそうで、文理の茶道研究会が一席、圓成庵に席を設けている。

自分は昔、その茶道研究会に属していた関係で、この茶会にお邪魔したのである。

圓成庵は小間であるが、九人は客が入ると半東さんが言っていたから、それなりに広い。十時に行ってM先輩と二人で入ると、かなり余裕がある。M先輩が色々話すので、わりにリラックスした席になった。軸は確か、紅葉に関する語で、香合は柿の形、水差しは芋の形、主茶碗、替え茶碗はそれぞれ違うデザインだが、共に紅葉をモチーフにしたものであった。つまり秋であるという事がテーマになっている。

この花会のH先生の席にも入れて頂いた。よく考えると自分が正客であった。今思い返すと、半東が「当流は云々」と話していて、かなり流派の中心に近い方なのではないかと思う。本当に何気なく正客になってしまった。出てくるお道具も、いつも通りぐらいの気持ちでいたのだが、宝物と言っておかしくないようなものである事が半東さんの説明で分かった。つまり、人の一生を軽々と超え、何代にも渡って、「茶道の心得がある人」或いは「東洋の美術品を解する人」によって伝えられてきた品という事になる。皇室関係の収蔵品に含まれる作品を作った人の作品もあるらしい。風炉先屏風だったか。大体、風炉先屏風に螺鈿が使われているのを自分は今まで見た事がない。風炉先屏風に螺鈿で紅葉が描かれている。茶箱の点前だったが、その茶箱にも螺鈿で画が描かれていた。ちょっと、美術館でお目にかかってもおかしくはない感じである。なんでも、半東さんが最初に見たときはもっとくすんだ感じで、こんなものと思っていたのだが、道具屋さんに頼んで磨いてもらったのだという。道具屋さん曰く、素人が磨くと傷が付くのでやらない方が良いとのこと。奈良とか聞いた気がするが、まさか奈良時代ではないだろうが、ともかく古いような事であった。

もう一つ、ちょっと面白いというか、自分と不思議な縁のある品物を見た。

それは自分の住んでいる鶴見には総持寺という曹洞宗の本山があるが、この寺が石川県から神奈川に移ってくるとき、和尚さんが縁のある人に、僧衣を分けたのだという。その僧衣をもらい受けた人が、僧衣の一部を切り取り、仕覆に仕立てたというのである。

道元なんとかという名が付いていたと思うが、早くも忘れてしまった。茶会に行ったのは今日なのだけれど。

部長のK君やH先生などにご挨拶して帰る事にする。M先輩は朝仕事をしてからお茶会に来て、終わったらまた仕事らしい。どれだけ忙しいのだろう。そして、その暮らしに比べたら、自分はまだ人間的な余裕が生活にある。有り難いことだと思う。

第六十一回日本大学文理学部櫻門茶会

武蔵野市の若竹で開くと聞いたので、六十周年記念のお茶会で使った別邸の方かと思っていたが、別邸に向かって道を歩いていく途中で、元々うどん屋さんだった母屋の方にスーツを着た若い人が立っているのが見えた。それで母屋で茶会を開いていると知れて、一度渡った道をもう一度反対側に渡り直して、母屋に向かった。招待状には正しく母屋の位置が記載されていたのだが、こちらで勝手に別邸と決めてしまっていたのであった。

十時過ぎの早めの時刻に着いた。先輩、後輩のある学生サークルだからか、それとも、茶道の世界がそうなのか、非常に温かい歓迎を受ける。僕は全員の顔を覚えていないのだが、向こうは覚えていてくれて、名前を呼んでくれる。一年に数度しか会わない人の名前でも、若いと覚えてしまうのだろう。若いからというよりは、向こうは覚える名前がひとつで、こちらは部員の名前を覚えようとしたらたくさんいる、という事情もあると思う。毎度お茶会に来る先輩というのは数人しかいないから。

ビルの屋上から富士山を見る

されど富士山から

富士山を見たビルの屋上を

見つけるのは難しい

ちょっとそんな事も思う。

さて、元々うどん屋さんだったという若竹さんは、うどん屋を廃業し、お茶室の貸し出しを始めたようだ。非常に綺麗な、新しいお茶室である。別邸も大分立派だったが、こちらも気持ちの良い和室だった。お茶室というと、古びていた方が風情があるという事もあるだろうが、新しいのも良いと思う。畳の新しいのと同じで、気分がいい。

作法については、飲み方だけ覚えている。

小間に入ったら、重箱でお菓子が出てきて、参る。どうやって取ったらいいのか。結局他大学の学生、彼女は末席に座っていたが、彼女に教えてもらってなんとか食べる。

このお菓子の食べ方というのは、案外難しい。出されるとき何で出されるか、予め知ることはまずできない。会記が最初から印刷されて配られているケースは別だが、おおよそは席に入って分かるのである。饅頭を下手に懐紙に載せるとくっついてしまい、懐紙ごと饅頭を食う羽目になる。一体何の罰なのか。羊羹のような、ゼリーのような、やや崩れやすいものが出る事もあるが、茶道でスプーンが出た事は寡聞にして知らない。重要なのは、菓子切りを無理に使おうとしないことである。要は失礼がないように食べれば、それほど非難されることはない。しかし、作法があるなら、なるべく従いたいと思っている。

自分は世の中のモラルというのが、あまり好きではない。なぜかというと、そういうモラルに従って生きる事が、自分にはできないからである。しかし、割と茶道の作法については、従いたい気持ちが強い。何か、自分にとって嫌なものという感じが全然しない。むしろ好ましく思っている。

H先生に挨拶すると、一月後にあるこのはな会に来ないかとのお話で、聞けば文理の茶道研究会も一席担当するという。結局M先輩と一緒に伺う事になる。

 

布教

Nさん、というのは架空の人物ですから、そのつもりでお読みください。

さて、僕はNさんと喫茶店にいた。僕は溜め息を吐いて云った。

「Nさんは、学校を出てから、お茶を点てる機会はありますか」

「ないですね。忙しくて」

「僕もないです。お金もありませんしね。でも最近、紅茶を飲むようになりましたよ。茶葉から紅茶を淹れるんです。結構おいしいですよ、これは」

僕はテーブルに置いてあったスマートフォンを取り上げて、写真を見せた。

「中国から持ってきた紅茶です。青島市の近く、崂山(ろうざん)の名産です」

Nさんは、興味がなさそうに、しかしそれでも一瞥はした。

「こっちの写真は急須に葉を入れたところですが、ちょっと葉が丸まっているのは、炒ったお茶だからです。普通のお茶っ葉は乾燥させて作る。これは炒ってあるんです。味は少し強い。中国のお茶は大体日本より強いですから。烏龍茶を思い出してもらえると、分かりやすいかと思うのですが」

「う~ん」

「ちなみに、先輩はお茶って何番煎じぐらい飲みますか?」

何番煎じ?」

「紅茶の葉を急須か、ティーポットに入れてお湯を注ぎますね。しばらくすると、葉から紅茶の味が染み出てくる。それをカップに注いで紅茶を飲む。これが一番煎じですね。もう一度お茶を淹れると、今度は最初より薄くなるが、もう一杯飲める。これが二番煎じです」

「なるほど」

「この紅茶は自分の試したところでは、大体四番煎じぐらいまで飲めますね。かなり薄くなりますが、まぁ紅茶かな、というところです。五番煎じになると、もうほとんどお湯と同じです」

先輩は神妙に、きっと笑うところではないのだろうと聞いている。

「普通は大体二度ぐらい飲んだら、それでおしまいにするかもしれません。四度も飲むのは珍しいかもしれませんが、あまり暮らしに余裕もありませんし、お茶を大切に飲みたいと思っているのです。ところで、先輩はお菓子は召し上がりますか」

「食べるよ。たまに」

「僕もたまに食べます。もっとも、先輩のたまにと僕のたまにだと、僕の方が頻繁かもしれませんが。先輩は月餅というお菓子をご存じですか」

「あ~あ」

と先輩は何か閃いたかのごとく相槌を打つ。

「最近美味しい月餅を見つけまして。中に餡が入っているんですけど、一緒に砕いた木の実が入っている。茶道で使う主菓子に近いのですが、あれほど甘い感じはないですね。茶道の主菓子を100とすると」

自分は一息置いて考えた。

「75ぐらいの甘さですね。わりに食べやすいです。中国に中秋節というお祝いがあるのですが、日本で云うお月見なんですけど。あの時に食べるお菓子らしいです。僕も参加した事はないのですが、家族が集まって、みんなで夜にお祝いをするらしいです。お酒も出るんだとか。僕はお酒はやらないのですが、月餅が美味しいなと思って、ちょこちょこ食べているのです。中秋節は八月十五日ですけど、中国は陰暦ですから、九月の」

また考えたが、はっきりした日付が分からないので、

「下旬です」

と続けた。

「崂山のお茶は緑茶もあって、そっちもたまに飲んでいますね。茶杓で抹茶を掬って、茶筅で点ててということではありませんが、紅茶も結構いいですよ」

「確かに」

Nさんは相変わらず気のない風で相槌を打つ。

「工夫次第だと思っているのです。お金がなくても、暇がなくても、工夫次第だと、僕は思っているのですよ」

僕を助けてくれた思想

自分は青年の頃から思想に関心があった。

始めに関心を持ったのは仏教思想であった。中でも、特に禅である。

しかし、自分は社会に出てから、仏教に救われたと感じた事がまだほとんどない。

あるにはあるけれども、それがはっきり仏教かどうか、確信がない。

自分が行き詰まり、行き場を無くした時に、仏教的な心情が沸き上がってきて、今までのこだわりを捨て去る気になり、それで前に進めるようになる、そういう経験は何度かしている。しかし、同じ経験を誰でもしていそうだし、自分がそういう機会に仏教的なもの、禅的なものを感じているだけかもしれない。仏教がなければ、こだわりを捨てる事ができないかと聞かれると、無くてもできるだろうと思う。

さて、仏教よりも、もっとはっきり自分が救われたと感じるのは論語である。儒教に救われたと言わないのは、自分が主に読んだのは論語であり、しかも、論語の前半だからである。要は全部は読まなかったのであるが、それでも、自分には大きな意味があった。論語の教えは、自分が自立するのに役立つと思う。

子供の頃は、両親や周囲の大人の愛情で子供は育つが、長じるに従い、自分である程度生きれるようになる必要がある。論語に、「吾十有五而志于学」(私は十五歳で学問に志した)とあるが、実際15歳ぐらいになると、もう自分で歩き始めねばならない。そういう機会に、論語は一番適していると思う。社会に出ると、悪い人間もいれば、親切な人もいる。悪友に近い友達もいるだろうし、本当に仲のいい、親切な友人もできるだろう。いずれにしろ、万事自分次第ということになり、何かしらの寄る辺がないと、堕落して道を失う事になりかねない。何も考えずにぼんやり働いていれば、それだけで時間が過ぎてしまう。そういう時、論語は役に立つ。論語は、母の愛情の代わりになる、と言ってもいいと思う。或いは、結婚する前に得る妻の支えのようなもの、とも云えるかもしれない。

  • 志すという発想

まず、何か目標を持つ、志を持つという事が論語にはある。しかし、この目標というのは論語に於いては限定されている。スポーツ選手になる、とか、歌手になる、という目標は論語に含まれない。君子になる、という事、学問を学んで、立派な人間になり、政治で世の中を良くするというのが目標となる。まぁこの辺りは、文字通りに取る必要はないと自分は思う。つまり、論語を読んだ人が、全て公務員を志すべきだ、とは考えない。しかし、「学問を学んで、世間の役に立つ事をする」ぐらいは受け取っても良いと思う。まだ15歳だと、日本で世の中に出る人は少ない。学生が多いだろうから、そういう意味でも「学問に志す」のは良いと思う。もっとも、自分が論語に感銘を受けたのは30歳ぐらいだから、学生の頃ではないが、15歳ぐらいで論語を読み、「俺は大学に進んでしかるべき仕事に就くのだ」ぐらいの感じを持てると良い。漠然とした志でも、ある方がないよりずっと良い。

  • 世界観を持つ

これは、思想を知るという事の特徴だと思うが、思想というのは、例え「あんた、そりゃ無茶だ」と思えても、自分の考えで、世界の一切を割り切って見せるとでもいうような、考え方の一貫性というのを持っている。論語を読んで感じるのは、孔子が人間の在り方にまで踏み込んで説いている、という事である。論語では官僚を育成するような方向で人間形成が考えられているのであるが、決して、「良い官職に就くために、みんな頑張ろうぜ」みたいなノリではない。むしろ、「官職に就くために学問をやるべきでない」ぐらいの反骨精神である。良く引かれる言葉であるが「賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。回也不改其楽。賢哉回也」(弟子の顔回は賢い。一碗の飯、一杯の飲みもので、路地の奥に住む。人はその憂いに耐えられないが、顔回は楽しみを改めない。顔回は賢い)と論語にある。ここで言われている「楽しみ」は酒を飲んで寝ている事ではなく、孔子の説く「道」を学ぶことである。論語は貧乏を推奨している訳ではないし、富貴を憎んでもいない事は読めば分かるが、この一節で分かるように、貧乏を軽んじている事は確かである。つまり、道が大切なのであって、貧乏を憂うるというのは二の次である。

あまり貧乏でも良くないのは当然であるが、論語には「子曰、君子謀道不謀食。耕也餒在其中矣。學也禄在其中矣。君子憂道不憂貧」(孔子は言った。君子は道の事を心配して食の心配はしないものだ。畑を耕していても飢える事はある。学んでいれば、学びの中から給料が出てくる。君子は道は憂えるが、貧しさは憂えない)という言葉もあり、飽くまで食っていければそれで良く、関心は道の方にあるべきだ、というのが孔子の考えである。これは若い時には特に良い考えだと思う。なぜなら若い人は概して金を持っていない。こういう時、「じゃあお金を稼ごう」という発想になりがちであり、それも間違いではないが、やや「その場の話」になりがちである。要するに、人間「食っていける」という話だけで云えば、今日食っていく事自体はまぁ間違いなくできるので、そこに引き寄せられると、人間が小さくなってしまう。そこで論語の「貧乏でも憂えるな、志が大切だ」という発想が生きると思う。あまり貧乏でも困る、実際困るのであるが、貧乏に引きずられて、志を失う事もまた、恐れるべきだ。論語はやや極端ではあるものの、富や貧乏ではなく、道、つまり政治によって人々を救うという使命への関心を呼び覚まし、こちらを重視すべきだという考えを主張している。これは孔子の思想であって、ない所にはない。自分は論語に出会うまで、孔子の説く道という事を知らなかった。これは孔子が思想を持っていた、と言って良いと思う。この思想が正しいかどうか、正しい点があるとして、どの程度正しいのか、疑ってみるのは良い事だ。しかし、もし何の考えもなく暮らしている者がいたら、論語を読んで学ぶ事は多いだろう。若者が論語を読むと、一つの世界観に触れる事になる。この世界観は、最後まで自分を支えてくれるか分からないが、ひとつの指針にはなる。そういう点が論語にはある。

  • 無茶を言わない

これは前項と矛盾するようであるが、論語には、実現不可能な要求が出てこない。例えば、「富貴に成れ」だと、若いうちはなかなか成れない。自分は歳をとったが成れていない。このように現実的な要求には実現が難しいものがある。しかし、「道を生きよ」であれば、そのような気持ちになって生きる事は、今日からでもできる。ある人が「確実に道を生きている状態」、つまり君子であるかどうかを判定しようとすると難しそうだが、一応は、本人の志一つという事である。身一つで出来る事が要求されているのであるから、そういう点が有難いと云える。

 

さて、いくつか、論語の良さを述べてきたが、先ほど述べた比喩、結婚前に得る妻のようなもの、が論語だとすると、これは容易に別れて良いものではない。若い頃に読むのは良い事だが、歳を取っても、折に触れて思い返し、振り返るべきであろう。自分もまた、読んでみたいと思う。

『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)を読んだ。

ドキュメンタリー番組の方を観たことがあって、この書籍版は後から読んだ。だから、内容はある程度知っていたわけだが、それでも面白かった。人の話でも、何度聞いても面白く聞けてしまうという事がたまにあるが、この話もそれに類する話らしい。映画でいうと、「ショーシャンクの空に」を思い出すような、長年月に渡る努力とその成果の話である。フェルマーの最終定理がテーマなのは、タイトルにある通りなのだが、フェルマーの最終定理を読者に説明するために、古代に遡って数学の歴史を追っていく。読者はフェルマーの最終定理を理解するための準備として数学の知識を学びながら、ピタゴラス教団の歴史や、ガロアの暴れん坊ぶり、谷山豊の悲劇まで、数学に関わる人々のエピソードを知る事になる。実際に数学書を読んだ方は知っているだろうが、数学書は1ページを読むのにも、それなりの努力と時間がかかる。しかし、本書は普通の書籍と同じスピードで読める。それは数式がほとんど出てこず、出てきたとしても、すぐに分かるようなものだけだからである。当然と言えば当然だが、フェルマーの最終定理の論文を読む事なしに、フェルマーの最終定理を理解することはできない。しかし、本書はフェルマーの最終定理の概要を丁寧に追うことで、フェルマーの最終定理を解くに至った数学者達の努力と情熱を明らかにすることに成功している。だから、数学を知らなくても、本書を充分楽しめる。kindle版は安いし、万人にお勧めできる。