野狐消暇録

所感を記す

第六十一回日本大学文理学部櫻門茶会

武蔵野市の若竹で開くと聞いたので、六十周年記念のお茶会で使った別邸の方かと思っていたが、別邸に向かって道を歩いていく途中で、元々うどん屋さんだった母屋の方にスーツを着た若い人が立っているのが見えた。それで母屋で茶会を開いていると知れて、一度渡った道をもう一度反対側に渡り直して、母屋に向かった。招待状には正しく母屋の位置が記載されていたのだが、こちらで勝手に別邸と決めてしまっていたのであった。

十時過ぎの早めの時刻に着いた。先輩、後輩のある学生サークルだからか、それとも、茶道の世界がそうなのか、非常に温かい歓迎を受ける。僕は全員の顔を覚えていないのだが、向こうは覚えていてくれて、名前を呼んでくれる。一年に数度しか会わない人の名前でも、若いと覚えてしまうのだろう。若いからというよりは、向こうは覚える名前がひとつで、こちらは部員の名前を覚えようとしたらたくさんいる、という事情もあると思う。毎度お茶会に来る先輩というのは数人しかいないから。

ビルの屋上から富士山を見る

されど富士山から

富士山を見たビルの屋上を

見つけるのは難しい

ちょっとそんな事も思う。

さて、元々うどん屋さんだったという若竹さんは、うどん屋を廃業し、お茶室の貸し出しを始めたようだ。非常に綺麗な、新しいお茶室である。別邸も大分立派だったが、こちらも気持ちの良い和室だった。お茶室というと、古びていた方が風情があるという事もあるだろうが、新しいのも良いと思う。畳の新しいのと同じで、気分がいい。

作法については、飲み方だけ覚えている。

小間に入ったら、重箱でお菓子が出てきて、参る。どうやって取ったらいいのか。結局他大学の学生、彼女は末席に座っていたが、彼女に教えてもらってなんとか食べる。

このお菓子の食べ方というのは、案外難しい。出されるとき何で出されるか、予め知ることはまずできない。会記が最初から印刷されて配られているケースは別だが、おおよそは席に入って分かるのである。饅頭を下手に懐紙に載せるとくっついてしまい、懐紙ごと饅頭を食う羽目になる。一体何の罰なのか。羊羹のような、ゼリーのような、やや崩れやすいものが出る事もあるが、茶道でスプーンが出た事は寡聞にして知らない。重要なのは、菓子切りを無理に使おうとしないことである。要は失礼がないように食べれば、それほど非難されることはない。しかし、作法があるなら、なるべく従いたいと思っている。

自分は世の中のモラルというのが、あまり好きではない。なぜかというと、そういうモラルに従って生きる事が、自分にはできないからである。しかし、割と茶道の作法については、従いたい気持ちが強い。何か、自分にとって嫌なものという感じが全然しない。むしろ好ましく思っている。

H先生に挨拶すると、一月後にあるこのはな会に来ないかとのお話で、聞けば文理の茶道研究会も一席担当するという。結局M先輩と一緒に伺う事になる。