寒い日に樹が揺れる
人はせわしなく歩く
母は年老いた祖母を
遠く栃木の地で世話している
僕は毎日あくせくとしながら
妻との生活の費用を工面する
家族が離れて暮らしていても
心が通じるというのは本当だろうか
しばらくぶりに会うのはいつも葬式で
歳を取った互いに驚く
夜の雨が路を濡らした後
雪が降り始める
雪は路に触れると溶けてしまう
雪は降っても降っても
溶けてしまって積もらない
止む事もなく
積もる事もなく
いつまでも
雪が降る
飲み会の幹事には、色々な仕事がある。
ひとつひとつは雑用のような事だが、全部やってみると楽しい。
役得もある。
自分はこういう仕事が好きなんだな、と思った。
僕に支払われている給料を考えると、僕に飲み会の準備をさせるのは会社にとって損になると思う。しかし、社内の飲み会の準備をまさか外注する訳にもいくまい。そんな訳で自分は、簡単な仕事に対して高いお金を貰うことになる。
飲み会の当日は、別に何もしなくていい。時間だけ気にしていて、お願いしていた人に挨拶を頼むタイミングだけ忘れなければいいのだ。先日の飲み会では、自分の中で決めていた人にその場で頼んだら、断られてしまったので、やっぱり予めお願いしておいた方が良いかと思っている。
これからも機会があれば、幹事をやりたい。
店を探すのも楽しいし、送別の品を買うのもちょっと楽しい。
手間はかかるけどね。
以下は備忘録。
ちなみにお酒は当日あまり飲まなくて良い。
一般に、お酒は最初に乾杯した時に飲み、後は飲んでいるフリをしながら、適当に酒に口を付けていれば良い。杯が空かなければ、誰も注がない。そこにお酒があれば、飲んでいる事になるのだ。みんな酔っているから、気付かない。
朝からずっと雨が降っている。台風が近付いているそうである。日曜日で、自分はずっと部屋に閉じ籠り、ほとんど外に出なかった。
起きたのは十時過ぎで、もう昼が近かった。ビニール傘を差して駅前のATMまで行き、いくらか金を下ろした。これに先日母に貰った金を足すと丁度ひと月分の家賃になる。
一階に住む大家さんを訪ねた。門の脇のインターホンを鳴らして、家賃を納めに来た旨を告げる。はーい、といつもの大家さんの声が聞こえたが、如何せん、門の扉に錠が掛かっていて入れない。仕方がないので、手を扉の裏側に回して錠を外し、中に入って、玄関で大家さんと会う。大家さんはもう随分御歳を召されている。こんな台風の日には誰も来ないだろうと思って、門の扉に錠を掛けてしまったと言って謝られたが、とんでもない事である。こんな日に尋ねるなんて、非常識な事をしてしまった。
家賃を納めて二階の自室に帰る。妻はコンビニのバイトで午後まで帰って来ない。何をするともなく過ごしていると、妻が帰ってきた。それでやっぱりどこへも行かずに家に閉じ籠っていた。時々、ベランダに面した窓を開けて、外の様子を伺う。雨は止んだり、降ったりを繰り返しながら、いつまでも止まない。風もそれほどないようである。
夜の帳が降りて、自分は茶を飲みたくなった。
沸騰する少し手前の熱さの湯を注ぎ、抹茶を点てる。
菓子は、フジパンのメープルアーモンドケーキである。
湯が少しぬるかったのか、茶を飲み終わったあと、固まった抹茶が椀の底に残った。湯をもう一度注いで、茶筅で溶くと、ほとんど白湯のような薄い抹茶が点つ。
最近気づいたのだが、抹茶の旨さと思っているものの半分程度は、温かい湯を飲む旨さである。なんだったら、抹茶なしの白湯を飲んでも、美味しい。特にこのように寒い日は美味しいに決まっている。
菓子も一緒に食べるから、やっぱり抹茶の方が良さそうだが、そんな事にも気付いてしまった。
まだ秋のはずだけど、二三日、ダウンが必要な寒い日が続いた。前々から、実家に余っている毛布や掛け布団を送ってくれる事になっていたのだが、いよいよ寒くなってきたから、実家に電話してみた。すると、車で持ってきてくれると言う。有り難い。お礼を言って、そうしてもらう事にした。
昼前に両親は車でやってきた。毛布と掛け布団を部屋に運んでから、一緒に昼を食べに行く。近所にある美味しい料理屋さんというと、唐華とアムラパーリーが思い浮かぶが、今回行くのはアムラパーリーの方だ。これはインドカレー屋さんである。
インドカレーとナンを食べて、もう一度部屋に帰ってくる。
窓側の和室で色々と話をしているとき、奥さんが
「お抹茶を入れようか」
と言って、抹茶を振る舞うことになった。
諸々の作法は省略して、抹茶を茶筅で点てて、すぐに飲んでもらった。
ただ、一人で一杯はちょっと多いようだ。一杯を両親と自分で回し飲みする感じになった。
それで奥さんはちょっと考えたらしい。
緑茶を入れるための急須を持ち出して、ここに抹茶を入れて点てろと言う。
それはやりかねると思ったが、少し考えて、茶道で使う茶碗で先に抹茶を点て、点てた抹茶を急須に移した。
奥さんはその急須で緑茶向けの小さな茶碗に抹茶を注ぎ、二杯目を両親に振る舞った。
なるほど、そういう事もできるか。自分は抹茶は大きな茶碗とばかり考えていたが、拘らなければ、色々やり方も出てくる。
所謂茶道になるかは別にして、こうやって新しいやり方を見つけるのは、愉しい事である。
段々自分がやる事を奥さんが把握してきた。
それで、ある日帰ると、奥さんが抹茶を飲む準備を整えてくれた。
「お茶を飲みたいでしょう」
と彼女は言った。
特にそんな気はなかったが、言われたらやろうかという気になる。
二人で道具を並べる。
菓子は彼女が貰ってきたもの。
丸い菓子は半分自分で食べたそうで、もう半分を僕のために持ち帰ってくれたそうだ。
貰った菓子を全部食べず、旦那さんのために半分持ち帰る。
なんと心温まる事だろうか。
彼女の気持ちは本当に嬉しい事だ。
それで、半分の丸い菓子にあやかって、この茶会を「半月茶会」と名付けた。
菓子を半月に見立てたのである。
このとき飲んだ抹茶はぬるくて、正直飲めたものではなかったが、彼女の心が温かかったから、釣り合いは取れているのである。
さて、半月茶会の数日後、自分は土曜日で休日だった。
柄にもなく掃除などをしていて、ある道具を見つけた。
これはびっくり。
どこかにある気はしていたが、茶入の棗と蓋置である。
しかし、棗はともかく、蓋置まである。
蓋置があるという事は、柄杓もあるかもしれない。
引っ越しのとき、柄杓を布か何かに包んだような気もするが。
今後、お道具がちょっとづつ揃っていく事になったら、ちょっと楽しみである。
「中秋の名月」というやつを、僕はすっかり忘れていたが、奥さんは覚えていた。というより、中国人にはまだ現役の年中行事として、中秋節というものがあるようだ。
それでこんなお菓子を、奥さんは貰ってきた。バイト先の同僚の台湾土産だそうである。
こんな時には、お抹茶だ。
点てる。
ちょっと熱くても、いいかな、と思えてきた。
クリーミーに点てて、熱かったら、ちょっとづつ飲めばいいのだ。
奥さんが貰ってきたお菓子は、食べる前から「あんこかな」とは思っていたのだが、やっぱり甘い。
次に食べたチョコレートバーの短いやつも、そう思っていたのは自分だけで、沖縄のお菓子だった。
やっぱり甘い。
なんでこんな甘いんだろう。
嫌いじゃないけどさ。
アーモンドの煎餅が、お口にはちょうど良かった。