野狐消暇録

所感を記す

著作権と荘子の渾沌

荘子の渾沌というのは、ちょっとインターネットで調べてもらえば出てくるが、ある日、渾沌という生き物にお世話になった人が、お礼に、目、鼻、口、耳を渾沌につけてあげたところ、渾沌が死んでしまったという、大まかにはそんな話である。

自分は、著作権を保護しているうちに、作品が鑑賞されなくなってしまうという話を聞いて、ちょっとこの、著作権は渾沌に付けた七つの人間の穴に相当するんじゃないかという連想が働いた。

現代でいうと、2ちゃんねるとか、5ちゃんねるとか、そういう法の支配が届かないような、めちゃくちゃなところから、文化が生まれているようである。犯罪者がいてもおかしくないところから、文化が出てくる。これはいかにもありそうな話だ。そして、そのめちゃくちゃが人間社会には困るのであり、なんとか目鼻を付けて、人間の暮らせる世界にしたいのも、大いに頷ける訳である。

この矛盾は面白い。

これは妄想の類いだが、戦後の渾沌から日本の力強い復興があり、復興が終わると、日本の経済は停滞を始めた。戦後の闇市が経済の源で、それは文字通り、政府の統制を逃れた、めちゃくちゃなところだった。

中国の発展も、中国のめちゃくちゃと関係している気が俺はしている。中国人が法を守り、上品に暮らすようになれば、中国は成熟した暮らしやすい国へと変わり、そして停滞するだろう。

法を守る良民の暮らす世界がどうしても必要で、新しい文化の息吹も欲しくて、二律背反の中に人はいるのかもしれない。

一番活発な文化があるところには、著作権の侵害がある。それではいけないから、著作権を守るのだが、果たして文化の息の根を止めずに、どうしたら人間らしい世界にできるだろうか。