野狐消暇録

所感を記す

物真似

物真似は不思議である。普通、物真似というのは、冗談に過ぎない。やりようにもよるが、せいぜい物真似する相手を少しからかうといったところだ。

ところが、物真似をする相手が死んでしまったら、どうなるか。これは実際に起きたことだが、ある日祖父が死んだ。僕は祖父の生前に時々祖父の物真似をして家族を笑わせていた。その時はもちろん、ちょっとした冗談に過ぎなかった。「似てる」と言って皆んな笑った。「骨格が似てるからだ」と誰かが言い、皆んななるほどと感心した。祖父と自分は血が繋がっているのだから、顔つきも似ていて、簡単に物真似ができた。自分がもごもご話すだけで、晩年の祖父に良く似ていたのである。

さて、祖父が亡くなってしばらく後、ふとした機会に、特に何とも思わずに、その物真似をもう一度やってみた。みんなやっぱり笑った。しかし、もう祖父は生きていないわけである。だから、皆んな生前の祖父の様子を思い返して、笑ったわけである。

これは何なのだろうか。その時も少ししんみりした気がするけれど、深く何かに気づいたわけではなかった。

しかし、今思うと、これは追悼に似ている。葬式のあと、みんなで寿司を並べて食べ、故人の思い出を語る場と、良く似ている。皆が故人を思い浮かべている。そして、擬似的に、故人がそこにいる。

物真似は、普段は冗談に過ぎない。しかし、物真似される者の死を境に、追悼に似た何かに変わる。