野狐消暇録

所感を記す

英語の聞き取り

ドリトル先生の英文を読むようになり、この頃は英文に慣れて、聞き取りもやってみたいと思うようになった。英語で書けば、listeningである。

You Tubeで英語のGame紹介動画を見たり、ドキュメンタリーを無理やり英語で聴いてみたりしたが、聞き取れる言葉が少なすぎて、理解できない。ちょうど良いものを探すともなく探していたところ、Spotifyに英語の練習用のPodCastを見つけた。まだ、二、三話しか聞いていないが、ゆっくり話してくれるし、英語も聞き取りやすく、自分にちょうど良さそうだ。

先日聞いた話は、アメリカ英語とイギリス英語はなぜ違うかという話で、イギリス英語の方は、上流階級向けに作られた洗練された英語(Sophisticated English)で、却ってアメリカ英語の方が、アメリカに移民があった昔の、古い姿を残しているとのことであった。

このあたりの話は、柳田邦男の『蝸牛考』にある方言周圏論を想起させる。言語の伝播というのは、面白いものだと思う。

そういえば、仏教徒が行脚(あんぎゃ)と言って、「行脚」を「ぎょうきゃく」と読まないのは、この漢語が入ってきた時期の中国音を反映しているらしい。そもそも中国語では、一語につき一音なのだそうであるが、時代と共に音が変わっていくので、日本にはその言葉が伝わった時代ごとに、様々な音読みが残っている。

そう考えると、日本語など、混沌の極みではないか。英語も、イギリス内の地方によってかなり違うらしい。そういう言葉を話し、またこのように記して平気でいる人間というのは、何なのだろう。何の秩序もなしで、平気で暮らしている側面が、現代人にもあるのかもしれない。