3DSで発売された、ダンジョンRPG『新・世界樹の迷宮2 ファフニールの騎士』を70時間ぐらいプレイしたのですが、途中で投げてしまいました。
理由はボスが強過ぎるためです。
空の城にいるボス敵「オーバーロード」の第二形態を倒すのが面倒になりました。
挫折したとはいえ、折角買ったソフトなので、難易度を「スタンダード」から「ピクニック」に下げてエンディングまで見ました。難易度「ピクニック」で進めると、敵がとても弱いのです。
最初、自分は難易度「スタンダード」でクリアするつもりで、途中のボス敵「炎の魔人」が強かった辺りから、Webサイトの攻略情報を見始めました。
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「新・世界樹の迷宮1 ミレニアムの少女」をプレイした時は、攻略を見れば勝てたのですが、攻略情報を見ても『新・世界樹の迷宮2 ファフニールの騎士』は難しい。
それで、ついにゲームを投げる時、いつも感じるあの気持ちがやってきました。
「なぜ、俺はゲームで苦労せねばならないのか。ゲームは楽しみでやるものではないのか」
それで、自分は『新・世界樹の迷宮2』をプレイする事を止め、別のゲームを買って遊びました。
しかし、しばらく経つと、途中で止めた事が残念に思えてきました。どうも勝ちたい。最後までやってみたい。
それで再度挑戦する事にしました。
その時、難易度を下げれば勝てるという事に気が付いたのですな。
それでいいのか、という気もしたのですが、ともかくエンディングまでいければそれでいいと思って、そうしました。
そうやってエンディングを見た後、ぼんやりとネットの海を彷徨っていると、『新・世界樹の迷宮2』を猛烈に罵っているサイトに出くわしたのです。
ここに書かれている事を熟読するうち、少しづつ分かってきました。
コンピュータゲームはプログラムです。
僕はプログラマです。
プログラムについては、素人より詳しい。少なくとも、僕の母よりは詳しいのです。
それで、専門家である僕の考えを述べると、プログラムというのは、複雑になりやすいのです。
パラメータが増えると、それだけ可能な状態の数が増えるため、扱いにくくなる。
どうも読んでいくうち、自分が途中で嫌になった理由が分かりました。
このゲームはパラメータの調整に失敗したようです。
「FORCE」というゲーム中に出てくる必殺技ゲージを溜めて放つ技を使用する事を前提としてゲームバランスを組んでいる。グリモアというこれもまたゲームに出てくるアイテムを使って、スキルレベルを上げる事を前提にしている。
つまり、この2点の重要性に気付かなかったプレイヤーは、そもそも勝てないのです。だから僕は勝てなかったわけです。必殺技はあまり使わなかったし、スキルレベルをグリモアで上げる作戦も、おまけ程度にしか活用していなかった。
また、この「葬式スレ」により、ボスに勝つための戦略に持久戦というものがなく、攻撃力で押し切る戦法しか通用しない事も知りました。
戦法がひとつしか取れない。多様性が売りのダンジョンRPGで。
これは駄目でしょう。
一度そうやって気が付くと、あれこれとそれらしい兆候が其処此処に見い出されてきます。
簡単にゲーム中のお金「エン」が溜まるダウンロードコンテンツが配信される。こういう目に見える救済策というのは、ゲームバランスが取れなかった時、ゲームプログラマが取るありきたりの作戦ではないか?
アクションゲームでも、難しい箇所には、やたらと回復アイテムが落ちているではないか?
つらつら考える内、プログラマなら聴いた事があるであろう、巨象の話を思い出したのです。
「便利な機能」を足し算していった挙句、何がしたいのか分からなくなってしまった巨大なプログラムの事を。
これは推測ですが、ダンジョンRPGにストーリー要素を足す、という事が、そもそも、「余計な機能」だった可能性があるように思います。そして、グリモアというのも、「余計な機能」に結局はなってしまったのではないか、とも思います。
これはコンセプトの問題だという感じがしました。
ダンジョンRPGのコンセプトの延長をやるのか、それとも、(ダンジョンRPG+ストーリー)で、『ドラクエ』以外の何かを本当にやれるのか。
後者をやって、ファンが付いてきたら、「新・世界樹~」シリーズは成功なんでしょう。しかし、それが難しい。普通のRPGになってしまう。それならそれで、既に世の中にいっぱいある。何かそういう、微妙なラインで、どうしたいんだというのがあるのかもしれない。
また、これも作成者の配慮が裏目に出てしまった例ですが、雑魚敵が無暗に弱いのです。フィールド上に最初から見えている敵であるFOEは結構強い。とてもじゃないが勝てない。しかし、フィールド上に見えていなくて、パッと戦闘に入る雑魚敵が全然強くない。作成者の考えとしては「ボス戦とのメリハリをつけた」との事ですが、普段の戦闘が、ボス戦の練習にならない。雑魚敵は普通に攻撃すれば大体勝てる。ボス戦は、色々考えないと絶対に勝てない。つまり、普通の戦闘とボス戦で採るべき作戦とが違い過ぎて、その辺も、「ボスが強過ぎて面白くない」感じを増してしまっていたように思います。
ただ僕はこのシリーズが嫌いかというと、妙に好きなのです。
なんかこう、素朴味があり、民芸品のような良さがある。
僕はそれを好んでいる。
こう書いてみると、僕こそ、真の信者だ、という気が致します。
他の人が嫌っている、出来損ないのストーリーを正にその出来損ないの故に好いているのだから。
ありきたりのキャラ、登場人物のどこかで見たような記憶喪失、その全てが、無名性を持って迫ってくる。作家性がどこにも見えない事、まさにその事が、望郷の念のように僕の胸に迫ってきます。どこにでもある田舎であるからこそ、人は故郷を懐かしく感じるのではないか。
僕としては、この物語の甘ったるさが良くて、それでプレイしている所は大いにある。僕は永井荷風のファンであって、ああいう、甘ったるい詩情が好きなのです。
そういう味が『新・世界樹の迷宮』シリーズにはある。人はこれを嗤うであろう。
しかし、ダンジョンRPGファンが見ていない良さを、僕は『新・世界樹の迷宮』に見い出しているのであって、これはこれで、正しいファンだなと思います。『新・世界樹の迷宮』のストーリーモードを楽しんでいるのだから。
それで、ストーリーに関して言うと、僕はクロエが面白いなと思いました。台詞が笑っちゃうんですよ。あれは声優がうまいんでしょうな。
「楽勝、うん、らーくしょ」とか、あとちょっと忘れましたが、とぼけた面白さがある。かなり昔の白黒映画で出てきそうな古典的なギャグって感じでいいですね。森繁久彌的というか。森繁久彌、そんなに知らないですけど。
あと、これはネタバレなので、読みたくない人は読まないで欲しいんですが、エンディングで、主人公がどこかに去っていき、残された仲間が落ち込んでいるという筋があったでしょ。あったんですよ。
これは、ディレクターとスタッフの関係なんじゃないかと思ってしまったんですよ。
最後、主人公がカッコよく変身してボスを倒す。この主人公の姿が、『新・世界樹2』をちょっと強引に完成まで持って行ったディレクターの投影で、後に残された仲間は、変なものを作ってしまったスタッフじゃないかと思います。
なんか、そういう憶測をしてしまいました。最後に変身して、敵の大将を簡単にやっつける、あれはゲーム中のお金がガンガン入るダウンロードコンテンツを出したりといった、「パラメータ調整諦めた」後に無理やりゲームをまとめる、そういう姿の比喩なのではないか。そういう、メタ的な、自己言及的な部分があるんじゃないかとか、考えました。
僕は鴎外の小説でもここまで考えません。
エライ、ここまで人に考えさせるストーリー、ふぁふにーるの騎士、エライ。
それは冗談ですが、ゲームの出来不出来、単に面白かった、詰まらなかったじゃなくて、なぜつまらないのか、それには理由があるらしい事、そういう事が分かったり、プログラムとしてゲームを考えたり、僕にとっては、とても面白い事を経験する事になった作品である。
まぁそんな事で、このゲームを人には勧めませんし、自分ももう一度やるかと聞かれると、やらない気もしますが、まぁいいじゃないか、一度でも楽しめたんだから、それでいいのだ。夏休みみたいなものだ。二度と戻ってこなくて、ちょうどいいのだよ、きっと。