野狐消暇録

所感を記す

ドリトル先生はSFである。

原書の『ドリトル先生 アフリカ行き』を読み終わった

まず、めでたい。読み終わるとは思っていなかった。何しろ、英語の本を最後まで読み切ったことが、生まれてこの方一度もなかったのである。この喜びを誰に伝えようかと思って、母に電話してしまったくらいである。

さて、読み終わっての感想だが、子供の頃に日本語版を読んだとき、気付かなかった点に気付いた。

ドリトル先生はSFである

ドリトル先生シリーズの第2巻「ドリトル先生航海記」のAmazonレビューに以下がある。

この物語は、別世界を舞台にしているわけでも、魔法が出てくるわけでもありません。けれど、ドリトル先生は、魔法使いというわけではなく動物語を話せます。学習したのです。飼っているオウムのポリネシアとの会話から始めて、一つ一つ動物語を覚えていきました。(中略)動物語を話せるという設定は、魔法ほどには飛躍せず、私たちがあり得ると考えていることの延長線上にあるのです。あり得ないけれど、あったらいいなといったレベルです。
 『航海記』に出てくる漂流島もそうですね。陸地の一部だったのが本土からはなれたとき、内側の殻になったところに空気が入ったから浮いているのだと、説明がなされています。そんなアホなと思いますが、あったら楽しいな、です。
 常識と地続きのファンタジーとでも言えばいいでしょうか。(後略)

Amazonレビュー「冒険の喜びを今も伝えてくれています。」
(レビュアー ひこ・田中

www.amazon.co.jp

この「ひこ・田中」さんのレビューはなかなか鋭い。自分もこれを読んで気付かされた。ドリトル先生のエピソードは科学的、あるいは工学的な想像力に満ちている。

・王子の顔を薬品で白くする。

どうしても、白い肌になりたいと念願する黒人の王子の願いを叶えるため、ドリトル先生は薬品を混ぜたたらいの水に王子の顔を付けさせ、顔を白くする。この、「薬品を使って顔を白くする」というやり方は化学的なものである。

・たくさんの燕で船を引っ張る。

空を覆うほどたくさんの燕が細い糸を口に咥え、その糸のもう片方の端を船の先端に繋ぎ、糸で船を引っ張るという方法で、船の速力を上げる描写がある。これは工学的なやり方である。

・動物語を話す。

動物の言葉を話せたらというのは、犬が喜ぶと尻尾を振ったりするところからの連想であると思う。これも科学的な想像力であると思う。

 

このように、作中のエピソードはどれも事実とは異なる空想でありながら、しかし単なる空想とは違って、ちゃんと科学的または工学的な理由があることになっている。この点は、西遊記と比べてみると良く分かる。西遊記に出てくる孫悟空は、筋斗雲に乗って空を飛べるが、西遊記の中に、筋斗雲の飛ぶ原理についての説明はない。一方、ドリトル先生では、船の速力を上げるために「燕が糸で引いて引っ張る」という説明がちゃんと付いている。こう考えると、一々の空想に科学的な裏付けを用意しているという点で、ドリトル先生はSF的な空想であると云う事ができると思う。

作者ヒュー・ロフティングは土木技師である

これは本文から読み取ったわけではない、云わば傍証というような話なのだが、あとがきによると、作者のヒュー・ロフティングは土木技師として鉄道建設に従事していたという。つまり、もともと工学に素養があって、工学的な考え方に慣れた人が書いた物語がドリトル先生なのである。

これから

ドリトル先生航海記」を読もうかどうしようか迷っている。読んでも良い気がする。ドリトル先生の英語は優しいそうだけど、優しい英語をたくさん読むのも良いだろうと思う。仕事の本も読まなきゃいけないけど、別に楽しみの本を読んではいけないという事でもなかろう。また、ちょっとづつ読んでみるつもりだ。