野狐消暇録

所感を記す

心の使い方

これから書く覚え書きは、自分の経験と考えを記しておくためのものであり、なんら科学的、医学的な証拠に基づいていない。

■ 自分の療養経験

心というのも、体と同様、病気になったり、その病気が治癒したりする。自分は身を以てその事を経験した。

自分は小学校六年生の頃、学校に行くのが辛くなり、しばらく学校に行かなかったことがある。小学校を卒業後、中学校、高校と進学したが、良く学校を休み、年によっては半分ぐらいしか学校に通わなかったと思う。それでも大学まで進学し、就職した。今は会社を休むといった事もなく、サラリーマンとして普通に生活できている。

自分の経験を振り返ってみて、気付く事がある。

○ 治るのに時間がかかっている。

風邪が治るまでにかかる期間は、おおよそ3日程度であり、長引いても2週間ぐらいがせいぜいである。

自分が学校に行けなくなったのは小学校の六年生の2学期からだから、12歳で学校に行かなくなっている。おおよそ完治したのが20歳だとして、治るまで8年間かかっている。治るまでに日単位ではなく、年単位の時間がかかっているということである。

○ 完全に治っていない間も、ある程度活動ができている。

20歳で完治するまでの8年間、何もできずに布団に横になっていたのではなく、それなりに学校に通ったり、勉強したりと活動できていた、という事である。つまり、8年間ずっと寝込んでいた訳ではなく、「半分治っている」期間が相当ある、という事である。ある程度の活動ができているからこそ、大学まで進学、卒業できているのである。何も活動できなかったら、単位を取って大学を卒業する事はできない。

■ 病気の原因

自分の場合、心に大きな負担がかかり、ある日の朝、学校に行けなくなってしまったようである。自分が学校に行けなくなったのは、2学期の最初からなのだが、報じられているところによれば、生徒の自殺で多いのが夏休み明けだそうである。学校が嫌で自殺してしまうのだろう。自分がしたのは自殺ではなく不登校であったが、心に負担がかかっていた、という点で同じケースと言えるのではないかと思う。そのため、学校生活におけるストレスが病気の原因であろう。

○ ストレスがかかった理由

自分は小学校五年生の時、新潟から神奈川の学校に転校してきたのだが、友達とうまくいかなかったり、先生とぶつかったりしたことがあった。要は周囲とうまくいかなかったのである。これがストレスの原因だと思う。

■ 回復の経過

○ 小学校

不登校になって数か月は寝てばかりいたように思う。家では朝起きれなくなり、深夜まで起きているようになった。つまり昼夜逆転の生活を送るようになった。小学校生活が半年ちょっと残っていたはずだが、殆ど学校に行かなかったと思う。しかし、全く家で寝たきりという感じでもなく、ある程度普通に暮らしていた。夕食は家族と食べていた。

◇ 振り返ってみて ◇

この時の自分の在り方は、偶然だが、正しいと思う。まず体を休め、一緒に心を休める事が大切であると思う。

○ 中学校

学校に行ったり、行かなかったりを繰り返す。二年生から不登校の経験がある生徒向けの特別学級に通う。

◇ 振り返ってみて ◇

それで良いと思う。できる範囲で、できる事をしていくのが望ましい。無理に通常の学級に通う必要はない。

○ 高校

不登校経験者向けの学校に通う。ここでも登校と不登校を繰り返す。高校を卒業するにあたり進学を勧められるが、大学に進学するのが嫌で受験しなかった。

◇ 振り返ってみて ◇

回復を経験しつつも社会復帰に苦しんでいる段階ではないかと思う。こうして振り返ると、順調な回復の経過を辿っているが、当時を思い返すと、心の煩悶が晴れる事はなかった。将来に健全な希望を持てるほどは回復していなかったためではないかと思う。しかし、例え心の病気がなかったとしても、高校生で将来が決められずに苦しむというのはありそうな事なので、どこまで病気が原因であると言えるかは難しい。

よりはっきり心の病気と関係がありそうな事柄として、大学が嫌で受験しなかったという事がある。よほど学校を嫌っていたのだと思う。

○ 高校卒業後

結局、自分は高校卒業後の4年間、誘われて映画に出たり、出演した映画関連の本を書いたりして過ごした。経済的には親に依存しており、自立できていなかったが、半分社会人の生活を送った。

◇ 振り返ってみて ◇

小学校の頃の不登校に起因する心の病気は既に完治していると思うが、まだ人よりは疲れやすい、或いは充分には活動できないといったところだろう。

○ 大学

高校を卒業してから四年経った後、日本大学文理学部国文学科に進学する。文系の学部に進学したので、それほど忙しいという事もなく、夏休みにはアルバイトをしたりする人が多かったのであるが、自分は全然アルバイトをしなかった。本ばかり読んでいたと思う。それが楽だったからである。

◇ 振り返ってみて ◇

それなりに元気であると思うが、元気に満ちている事でもない。病み上がりという言葉が妥当かと思う。

○ 社会人

大学卒業後、プログラマの仕事に就いて働く。派遣で働いていたので、それなりに労務管理がしっかりなされており、深夜まで残業させられるというケースは少なかったが、自分のスキル不足で派遣先から契約を切られるケースが多く、辛い思いをする。

スキル向上を図るため、平日の仕事終わりと休日にIT技術の勉強をするようになり、経産省でやっているITスキルの資格を取る。またプログラミングコンテストの問題集を解くなど、実践的な勉強も資格の勉強と平行して行う。

◇ 振り返ってみて ◇

就職したての頃は仕事がうまくいかず、ストレスフルな生活だった。契約を切られる恐怖と会社を馘首される恐怖に怯えながら暮らしていた。平日の夜や休日も勉強をしなければならず、今までになくやることが多かったと思う。しかし、会社を辞めて家で休むといった事はしなくて済んだ。その理由を次節で考えてみる。

■ 再発を防ぐ

子供の頃の不登校の原因となったストレスと同じような大きなストレスを受けたにも関わらず、社会人になってから心の病気にならずに済んだのはなぜなのか、自分なりに理由を考えてみる。

○ 自分のペースを守る事ができた

社会人になってから、自分の目標を立て、自分で自分を評価するようになった。これは仕事がうまくいかない頃に読んだ自己啓発本がきっかけで始めたのだが、結果として心の病気を防ぐ効果があったと思う。なぜかというと、自分の目標を立てる事で、自分のペースを守って歩んでいくことができたからである。

外部評価 うまくいっているとき 怠けやすい
  うまくいかないとき 無理をしやすい
自己評価 うまくいっているとき 自分のペースで進める
  うまくいかないとき 自分のペースで進める

会社での自分の評価とは別に、自分で自分を評価できるようになると、評価の軸が自分になる。この事で、休み過ぎたり、働き過ぎたりする事を防げる。

換言すれば、自分なりにせいいっぱいやったらそれで良しとする。既に周りから充分評価されていたとしても、自分が目標に向かって進んでいなかったり、何も活動していなかったら、それはダメという事になる。この評価軸により、自分のペースで常に歩けるようになり、結果として心が疲れたり、弛緩し過ぎたりしなくなる。体に例えれば、適度な運動をしている毎日という事になる。怠け過ぎず、無理もしない。

 

■ まとめ

心の病気というのは色々あると思うが、自分のケースでは、心の怪我とでも言うのが適切かと思う。自分の目標を持ち、自分のペースで歩むというのは、心の怪我を防ぐために必要な心構えであるだけでなく、心の怪我をしてしまった場合の、リハビリの際にも知っておくべきことだと思う。人と自分を比べて焦る気持ちはあるにしろ、少しづつ少しづつ、無理をしないで活動を広げ、生活を再建していくのが肝心であると思う。