野狐消暇録

所感を記す

1年8ヶ月勤めた会社を辞めた。

自分がC社に入社したのは、2015年4月の事だった。1年半少し前の事だ。

自分はソフトウェア・エンジニアとして仕事の上達を望んでいて、C社は自分に合った環境だった。

C社には入社する2年程前から派遣のエンジニアとして来ていて、職場の様子は良く知っていた。職場の上司はC社の社長で、エンジニア気質の人であった。

仕事はWebアプリを作る事であった。自分はWebアプリを作った事がなかったが、C社の現場で初めて作った。HTTPリクエストを受け取るプログラムが書けなくて、仕事をベテランエンジニアに回されてしまった事を覚えている。その程度の技術からのスタートだった。

徐々に仕事を覚えていった。

自分なりに勉強もし、会社で保守しているプログラムが如何に望ましくない状況に陥っているかも分かった。そして、それでも動いてしまう事も知った。

上司は厳しかったが、仕事は楽しかった。自分の意見を聞かれるので、何かしら答える必要があり、上司が納得するような、技術者としての意見を考えて述べる。これも難しかったが、意見を聞かれる事が嬉しかった。

アプリケーションサーバの保守を主に担当するようになった。

自分は色々なプログラムを組んだ。

マルチスレッドで動作するプログラム

仕事で初めてマルチスレッドのプログラムを書いたのがC社であった。マルチスレッドのプログラムを書く事ができるのか、かなり不安だったが、書く事ができた。しかし、やり過ぎてはいけない事もこの時に知った。今では相当単純な動作でない限り、マルチスレッドプログラミングはやるべきでないと思っている。

ソケット通信でWake On Lanするプログラム

朝、このプログラムを起動すると、十数本のスレッドが起動し、各スレッドがそれぞれWake On Lanの信号を異なるパソコンに向かって送る。この信号を受けたパソコンは、電源が入って起動する。

プログラムを走らせると、一斉にパソコンが立ち上がっていく様が壮観であった。

ポストバック

Webページを表示した後、そのページにあるボタンを押すなどして、もう一度同じページに対してHTTPリクエストがかかる事をポストバックと言う。これが最初不思議な気がした。同じページを更新したいなら、サーバ側からデータを送ればいい、と思ったのだ。現在、確かにWebSocketというサーバからクライアントにPushする技術がある。しかし、基本的には、クライアント側から取りにいかないと、情報を返さないのがHTTPの仕組みである。この仕組みに逆らわない方がいい、という事も、しばらく経って分かった。しかし、分かったのは、かなり後になってからで、最初はWebSocketを導入すべきだと思っていた。

Webフレームワーク

C社で働いているとき、Webアプリは生に近い状態で動いていた。所謂Webフレームワークを使っていなかったのだ。だから、統一されたコーディング方法がなく、割とプログラマごとに勝手に書いていたと思う。自分は新しく学んだ「よりベターなコーディング方法」で書くように心掛けていた。

 

C社で働いているとき、自分は相当プログラマとしての経験を積ませてもらったと思う。C社のおかげで、自分はプログラマになれたのである。しかし、所謂オーバーエンジニアリングをしていたのもまた、C社で働いていた時期だった。会社には悪い事をしたと思う。なぜ会社に悪いかというと、不要なほど作りこむという事は、会社に損害を与えた事になるのである。コストを余計に掛けているのだから。

 辞めた理由

自分がC社を辞めた理由は単純で、C社の職場が無くなってしまったためである。C社が開発していたシステムの受注が無くなってしまったので、自分はC社から別の会社に派遣され、派遣先の会社で働く事になったのだ。しばらくはそのやり方で仕事を続けていたが、自分のいたかった職場が無くなってしまったのは、どうしようもなかった。C社にいる理由がもはや無いので、止むを得ず、C社を辞す事にした。

社長に辞める旨を告げ、先月会社を辞めた。