野狐消暇録

所感を記す

茶道の稽古

来週に母校の茶会がある。

日本大学文理学部の櫻門茶会である。

櫻門茶会は今年で六十回目だそうで、記念にOB席というものが設けられている。

OB席というのは、茶道研究会のOBが亭主や半東、お運びを担当する茶席である。

自分も茶道研究会のOBの一人であり、OB席ではお運びを担当する事になっている。

しかし、もうずっと昔に稽古しただけなので、お運びの作法をすっかり忘れてしまっている。うかうかしているうちに、公式の稽古日に行きそびれてしまって、どうしようかと思っていたら、茶道研究会の先輩のMさんからメールが来た。

今度稽古があるから、来ないかというのである。

渡りに船とはこのこと、是非行きたいと返事をして、稽古に行くことにした。

懐かしい文理学部の校舎を訪ねて、サークル棟の茶華道室で稽古に臨んだ。

現役生がたくさんいて、みんな知らない人である。

先生は自分の少し上の年代のI先輩が務めている。

茶碗の置く場所や、足の運び、古帛紗の扱い方など、なかなか細かい。

一通り稽古をして、大体のところを把握する。正直、半東や亭主を引き受けなくて良かった。付け焼き刃の稽古で、とても覚え切れるものではない。

午後二時頃から稽古を始めたのだが、午後五時には帰る事にした。学生の時もそうだったのだが、茶道の稽古では、客になっているときがあり、この時に出される抹茶や菓子は実際に食べる。だから、帰るときまでには、抹茶と菓子を食べていた。食べた菓子には、自分が稽古代の代わりに持ってきた菓子も含まれる。

挨拶をして上がると、みんなで集まってお茶を点て、客になったり亭主になったりしながら、抹茶や菓子を楽しんでいた頃の気持ちに戻っていた。

なんて平和な楽しみだろうか。

なんと礼儀正しく、気持ちのいい世界だろうか。

そんな愉快な気持ちのまま、一緒に上がったM先輩に誘われて、飲みに行く事になった。まだ五時過ぎなので、最初に訪れた店は閉まっていた。次に訪れた店は満席だった。三軒目の店は、開いていて、入る事ができた。

店は二階にあって、奥のテーブル席に二人で座る。

M先輩は学校の先生をしている。忙しいらしい。色々と話すうち、話が歴史の事になった。

「僕の妻は、青島市の出身なのです」

「青島市というと、チンタオか」

「そうです」

「あそこはね、昔ドイツの租借地だったんだ」

「え、よくご存じですね」

そんな事から始まって、江戸時代の政治構造や、井伊直弼の話、これは一会集の筆者だから茶道にも関係するが、今回は開国の方の話で、第二次大戦の敗北の件も話したし、色々雑多な話が出た。

M先輩は酒を勧めず、好きにしたら良いよというので、烏龍茶をまず飲み、次にサイダーを飲んだ。肴もあまり頼まずに、しらすおろし、オムレツ、じゃがバターといったところ。

店を出るときに会計をしたら、なんと二人で三千円に達しなかった。

こんな飲み方もあるか、と感心した。