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野狐消暇録

所感を記す

嵐の前の日の床屋

会社勤めをしている。だから、普段の生活は、規則正しい。仕事は朝の九時十五分に始まり、午後の六時十五分に終わる。仕事の内容は、SEとか、プログラマと呼ばれる仕事で、ソフトウェアを開発している。そんな規則正しい生活をしていたある日の事、社長から、ちょっとした仕事があるので、やらないかと誘われた。それは普段の仕事とは別に、毎週日曜日に会社に出て、仕事をしないかと言うのである。結婚したばかりで、お金がかかるだろうから、バイト感覚でやってくれないか。社長にそう言われて、自分もその気になり、引き受ける事にした。始めてみると、日曜日だけではとても終わらない。最初のうちは週一回日曜日のペースを守ったが、すぐに土曜日も出社するようになり、終わらない分は、自宅からリモート接続で会社のPCに繋ぎ、平日の夜に働くようになった。こうして、休日にやるつもりの事は何もできなくなり、仕事ばかりの日々となった。

髪の毛が伸びてきた。八月の半ばに差し掛かっていて、外は暑く、蒸している日がある。そんな日には、髪の毛が鬱陶しく感じる。もっと短く切って、すっきりしたい。いつもなら、休日に髪の毛を切りに床屋に行くのだが、時間がないのでそれができない。どうしようかと思って思い付いたのが、会社の帰り道に、床屋に行く方法だった。

調べてみると、新橋駅に千円カットの店が見つかった。翌日、会社帰りに新橋駅でその店を訪れた。店は、ゆりかもめ新橋駅の、改札を出て少しの所にあった。千円カットの店は、チケット制である。会計係がいないので、合理的だ。チケットを買ってしばらく待ち、席に座って、髪を切ってもらった。

最初にどう切るかを聞かれた。ここはいつも少し困るが、「短くしてくれ」と言った。考えてみると、皆短くしてもらいに床屋に来ている。他の床屋なら、パーマをかけるとか、何か別の用事があるかもしれないが、ここは千円でカットする事が全ての前提となっている店だ。僕の注文は、「カットしてくれ」と言っているに等しい。

しかし、更に突っ込んで考えてみると、自分の返答は決しておかしなものではない。なぜなら、この返答は「どちらかというと短めに切ってくれ」という要求であり、別に「今と比較して短くしてくれ」という要求ではないからだ。理髪師はその辺りの解釈を間違える事なく、一般的な長さよりも短めに切る事を承諾し、髪を切り出した。

さて、担当になった理髪師は、しばらく黙って髪の毛を切っていたが、ふと、

「明日は台風が来るようですね」

と言った。

自慢になってしまうが、自分は世間話がうまいと思っている。それはあるコツを知っているからだと思う。そのコツは何かというと、相手に話を合わせて、ちょうど漫才師が合いの手を打つように、会話する事である。この時の自分が、まさにそうであった。

「ああ、そうなんですか?」

自分は答えた。

「もうだいぶ近づいているようですよ。九州の方は」

始めて会った人と話すことは天気の事と決まっているし、まして台風が近づいているとすれば、誰しもそんな話がしたくなる。理髪師と散髪中に話す事は珍しくないし、ここまでは何も、不思議ではなかった。

それから少し、台風の話が続いた後、理髪師は話頭を転じた。

「ちょうど、今頃、終戦記念日の頃の事でした」

自分はその言葉で、今日が八月十五日か、その前後である事を知った。

「もう、二十年ぐらい前の事ですがね、私は友達に誘われて、八丈島にある友達の親戚の家に遊びに行ったんです。とても綺麗な海岸と海でした。南の島ですね。たしかフェリーで行ったと思います。その彼の親戚の家の玄関に、コップに入った水が置いてあるんです。玄関の両脇に置いてある。何だろうと思ったんです。何だと思います?」

「塩が盛ってあるという事ではなくてですか。魔除けか何かで、玄関の両脇に塩を盛る習慣の事は知っていますが」

「コップです。それで、その家でお世話になったおばさんに尋ねると、幽霊が出ると言うんです」

「え、幽霊ですか」

「はい。なぜというと、第二次世界大戦で、八丈島も戦場になり、多くの兵士が亡くなったのですが、兵士の中には、まだ自分が死んだ事に気付かずに、戦い続けている者がいるそうで」

「横井軍曹みたいですね」

この辺の相槌が、自分が先に述べた所の、世間話のコツである。

「はい。それで、その日、家に泊めてもらったのですけれど、見ちゃったんです」

「というと」

「友達とは別の部屋に寝たのですが、その部屋が広い。広い部屋の片側が庭に面していて、ガラスの戸が並んでいました。そこのカーテンが開けてあったんです。私は横になっていましたが、あまり寝付けず、ふと庭の方を見ると、誰かが立っていました。庭の外にです。不思議に思い、声を掛けました。しかし、返事がない。返事をせずに、ずっと立っているのです。事、此処に至って、ようやく事態を飲み込んだ私は、布団を頭からかぶりました。そして、知りもしないお経を滅茶苦茶に唱えたのです。二十分ぐらい経ったでしょうか。布団をのけて頭を出してみると、庭の外の男はいなくなっていました。それでほっとしまして、翌日おばさんに話すと『見ちゃいましたか』と言われて、やっぱりそれが、八丈島で無念のうちに亡くなった、日本兵の幽霊だと分かりました。翌日の晩は、友達と同じ部屋に寝まして、今度は何事も起きずに朝を迎えました。そんな事がありましたよ」

自分は幽霊よりも、そんな面白い事を話す、この理髪師が興味深かった。

「それは怖いですね」

世間話がお上手な自分は、適当な相槌を打った。その相槌に乗せられたか、或いは、やってくるお客さんみんなに話しているのか、理髪師は話し続けた。

八丈島も戦場でしたが、硫黄島もそうでした。あの辺りはみな戦場になりました」

「ああ、そうでしょう。『硫黄島からの手紙』という映画にもなりましたし、話には聞いています」

「硫黄島の戦いには、叔父も参加していました。叔父は終戦後、しばらく経ってから長崎に帰りましたが、その時は家族みんな驚いたそうです。てっきり亡くなったと信じていたので」

「ああそうですか」

硫黄島の戦いを取り上げたドキュメンタリーをテレビで見た事がある。日本兵の生還率は10%とかなんとか、正確な数字は忘れたが、とても低かったはずだ。この理髪師の叔父は、その戦いを生きて帰ったというのだろうか?

「叔父は、こっちの方で」

と理髪師は二人の目の前にある鏡に向かい、自分の頬に指を当てて上から下へ、指を滑らして見せた。

 「ああ、やくざの」

「そうなんです。それで、戦場でも、上官を脅していたんです。いつか戦争が終わって内地に帰ったら、お前をひどい目にあわすぞ。俺にはそれができる。そう言っていたから、虐められなかった。それで、硫黄島の戦いでも、穴の中で追いつめられると、皆自殺する。叔父も拳銃を渡されて、死ぬように言われたんですが、元々やくざだから、国のために死ぬ気が全くない」

「ははあ、天皇陛下万歳、という人ではなかった」

「そうなんです。それで自殺しないで、却って、上官に、死にたいなら死ねと。それで上官は自殺したのですが、叔父は死なずにいた。しばらくすると、アメリカ兵がやってきたので、降伏したのです」

「なるほど」

「アメリカの捕虜になったのです。それで、日本に帰るのが遅れた。まあ帰ってきたときは、みんな驚いたんですが、でも、いい人でしたよ、叔父は」

「そうですか」

「私も、子供の頃、可愛がってもらいました。ある日、叔父が子供の私を見て、『お前はやくざに向いている、学校を出たら、うちに来い』なんて言って。母がやめてくれと言って叔父を止めましたが、あれがなかったら、私は床屋なんかしていなかったかもしれない」

「そうすると、お母さんのお蔭ですね」

自分は笑って言った。

「そうなんです。ただ、叔父は私には優しかったのでね。そんなに悪い人という気もしないのですが、叔父が亡くなった時には母が『亡くなってくれて、ありがとう』と言っていました」

これで、理髪師の話はおしまいである。この文章は、理髪師の話を記すためのものだから、自分もここで筆を擱く事にする。