野狐消暇録

所感を記す

青島旅行

青島は、中国語でチンタオと言う。島という名は付いているが、実際は島ではなく、港である。青島市は、山東省にある。北京からは、飛行機で、一時間ちょっとの距離にある。

結婚する相手の出身地が青島なので、親族に挨拶するために、青島市に行った。自分は神奈川県の横浜市に住んでいるので、成田空港から飛行機で行くのである。

結婚相手の名は、フェンと言う。フェンは2週間ほど前に先に中国に帰っていたので、自分が後から追いかける形で、青島市に向かった。

久しぶりに乗った飛行機は恐ろしかった。離陸してしばらく、生きた心地がしなかった。青島市に行く途中、北京空港を経由するので、まずは北京へ行く。

北京市を上空から見ると、同じ形の建物が並んでいるのが見える。他に、光の列が続いているのが、道路である。イルミネーションで光っている、舟を伏したような屋根の建物がある。日本で言えば、お寺の屋根か、門の屋根といった形。

北京空港での乗り換えは、一番不安であった。青島市に着けばフェンがいるから通訳してもらえて安心だが、北京では一人であり、誰も通訳してくれないからだ。

「transfer」と書かれた案内板に従って進む。同じ飛行機から降りた客に付いて行く。うっかり空港の外に出そうになる。周りの乗客はみんな北京に来た人だったのだ。国内線の方に行く。荷物チェックで中国語を繰り返されるが分からない。日本語で聞き返す。困って隣を見ると、後ろに並んでいた客がチケットを出して見せてくれた。係員にチケットを見せる。後から、顔が中国人っぽいし、国内線だから、中国語で何度も話し掛けられたのだと考えた。ボディチェックの時や後に会った係員には、英語で話しかけると、英語で答えてくれた。

北京から青島市にはすぐに着いた。飛行機も初回で慣れたからか、あまり怖くなかった。

出口で出迎えがある手筈であったが、顔が見えない。出口で会えない場合は、ここに来いと教えられた場所を探していたら、フェンの弟が見つけてくれた。

二人で迎えに来てくれたのである。

弟の運転する車でホテルに向かう。

ホテルに泊まる。

翌日のお昼頃、フェンのご両親に会う。ここで神田神保町で見つけてきた江戸時代の版画をプレゼントする。葛飾北斎富嶽三十六景「相州江の島」の複製である。義父となる人は、あまり言葉が多くない人である。義母となる人は良く話す。それから、結婚記念の写真で着る衣装を選びに行く。青島市内を車で走る。道が広い。歩道も広い。弟にそれを言うと、これでも狭い方だと言う。中国大陸は広いと言う印象。

日本の道はこれに比べると本当に狭い。

結婚写真を撮ってくれるお店で、衣装を選ぶ。4,5枚のウエディング・ドレスを選ぶ。一番いいコースを選んだそうで、等身大のポスターが巻物になった物も付いている。もちろん、普通のアルバムもある。正直恥ずかしいけれど、これは弟のプレゼントであり、フェンの一番の晴れ姿であるわけで、有難く受け取り、喜ぶ事にする。

写真を撮るのは翌日であるが、既にスマートフォンで、彼女の写真を何枚も取る。夕方に、親類の家に挨拶に行く。母方の兄弟の家である。

親類の住んでいるアパートに車が着いた時、既に辺りは真っ暗になっていた。アパートの一階のエレベータ・ホールが本当に暗い。ここには一つ、明かりがあってもいいだろう。エレベータに乗って、上階に昇る。扉が内側から開いた時、靴紐が解(ほど)けている事に気が付いて、靴紐を結び直していると、頭の上から、「ニイハオ」という男の太い声が響いた。「いいよ、靴紐は後で」とフェンに言われながら、靴紐を結び直し、部屋に入った。自分は、挨拶であるというので、日本から持ってきたスーツを着ていた。しかし、スーツの背中がしわしわだったようである。これは後から言われて知った。それはともかく、部屋に入った。林檎をご馳走になる。丸のままの林檎と、林檎の皮を剥く細身のナイフを渡されたが、自分がなかなか剥き終わらないので、Fが皮むきでさっさと剥いてくれた。林檎を丸のまま齧る。お酒を強く勧められる。しかし、「飲めない事にしてあるから、必ず『できない』と言って、断るように。できないは中国語で『ブーフイ』と言う」とフェンから言われていたので、『ブーフイ』と言う。しかし、あまり勧められるので、つい「She said me to say 『No』.」とその親類の男性に言ってしまった。訳すと「彼女が『ダメだ』と言えと僕に言った」という事である。これで益々勧められてしまった。当たり前である。しかし、自分としては、別に飲めない訳でもなし、そこまで勧めてくれるのを断るのが嫌だったのだ。しかし、絶対に断わるようにフェンに厳命されてしまったので、この後はともかく断る事にした。

その親類の男性、自分からすると、おじさんに当たる人だが、おじさんと話す。日中戦争を最近の若い日本人は知っているかと聞かれたので、歴史に興味がある人は知っているが、他の人は知らないと答える。僕が李白を好きだと言うと、好きな詩を教えろという。「げっかどくしゃく」とフェンに言おうと思ったが、これは聞いてもきっとフェンが分からないと思い、手で物を書く真似をして、おじさんから丸まりかけた紙とペンを借りると、「月下独」と書く。「酌」の字は出てこなかった。

どんな詩かフェンが聞くので、月と自分と影の三人で酒を飲む詩だと言う。おじさんはスマートフォンで調べて中国語で詩を読み上げたが、僕には中国語は聞き取れない。

帰る事になり、アパートを出る。おじさんは車の窓際で、酒を飲む仕草を繰り返し、最後まで僕を酒に誘った。車が出てから思うに、「She said me to say 『No』.」と言い、好きな詩に李白の「月下独酌」を挙げたのだから、飲めないと言ったって、信用されるはずがないのである。本当は、思い付いたたった一つの詩がたまたま「月下独酌」だっただけだ。でも、僕は酒の詩が好きであり、酒飲みの随筆も好きだから、あながち誤解でもない。「月下独酌」はその時勧められた酒の連想で出て来た気がするが、「一杯一杯復一杯」が面白い詩だ。その句の事もおじさんに言いたかったが、言いそびれた。

 ホテルに帰って寝る。次の日は、6:00 A.M.にホテルを出ると言う。案外ハード・スケジュールだ。

 

それで翌日、朝ホテルを出て、弟さんの運転する車に乗って、結婚写真屋さんに行った。店で出しているバスに乗ると、ロケ地を廻るのが遅くなるので、弟さんの車にしたらしい。しばらく市内を走って、海の見える所に出た。

車から降りて、結婚写真屋さんのロケ地支店のような所に着く。一階のロビーからして、赤い絨毯が敷いてあってそれらしい。二階に上がると、メイク室になっている。鏡が並んだスペースと、カーテンで隠れられる箇所が6つぐらい並んだ、着替えスペースがある。ちょっとした待合のようなスペースもあって、椅子とテーブル、テレビがある。衣装に着替える。中国語が全然分からないけど、身振り手振りと、片言の英語で意思を伝えるべく努める。最初に渡された衣装は小さくて着られないので、大きいものに変えてもらう。僕の着替えは割合すぐに終わった。フェンは時間がかかる。そこで待合で待つ。着替え終わったら、歩いて近くの海岸へ行く。カメラマンは鼻の下に少し髭を生やした、痩せた男。アシスタントは太った若い男。このアシスタントは光を反射する白い板を持っていて、被写体である僕とフェンに光を当てる。これから一日かけて、色々な場所に行き、様々な写真を撮った。喫茶店で椅子に座り、足を組んでいる所。フェンに駆け寄る所。海で顔を寄せる所。道を歩く所。スタジオでの撮影もあり、中国服を着て、おどけるというものもあった。日がとっぷり暮れるまで撮影は続いた。

傘を差して雨を避ける所を撮って、撮影会は終わった。撮っている最中は、言われるままにしているだけで、どんな写真が出来ているのか、全然分からなかったが、後で見せてもらうと、なるほど、あの時のカメラマンの狙いはこれだったか、となった。コントラストを活かした写真で、面白く撮れている。

 次の日は、車に乗って、済寧市に向かった。中国の高速道路に乗る。車を運転してくれた弟さんは、良く車の追い越しをする。済寧市から青島市に帰る時の高速道路で、こっそり車のメーターを見てみた所、120kmぐらいが普通にでていた。怖い。これは怖い。僕は後ろの座席に座っていたが、怖いので、シートベルトを締めた。弟さん曰く、「中国は時間を節約するから」との事だが、弟さんの運転する車に追い抜かれている車も沢山ある訳だから、これはドライバーの性格ではないかと思った。

途中、パーキングに停まった。トイレに入ると、小便をするときに、目の辺りにある壁に漢詩が書いてある。珍しいし、面白いので、写真に収めた。すると、掃除をしていたおじさんが笑って、もっと撮れと仕草をした。それと、パーキングだったか忘れたが、中国のトイレで見たのが、「人小一歩、文明大一歩」とかいう文字で、おそらく、月面に始めて降り立ったパイロットの、「これは人間には小さな一歩だが、人類には大きな一歩だ」から来ているのではないかと思う。これは、小便が周りに飛び散らないように、一歩前に出て用を足すように、との意味であろう。

中国語は漢字からできているので、日本人でも少し読め、意味が分かる部分がある。ホテルで見て面白かったのが、「小心地滑」という文字で、シャワールームにあった。これはタイルが滑るから気を付けよとの意味だろう。中国語の発音は分からないから、見る度に「しょうしんじすべり」と読んで、面白がっていた。

あと、「超市」というのもあった。これは、勘のいい人は、あるいは分かるかもしれない。「スーパーマーケット」の事である。謎解きみたいである。

高速道路を5時間ぐらい走り、済寧市に着いた。親戚がこちらに住んでいるのだ。フェンの姉の夫がやっている広告品店に確か行ったと思う。ちょっと正確にどうしたか忘れてしまった。この広告店のある所は、砂埃がすごかった。ここでザッザと会った。これはフェンの姉の子で、男の子である。あと、トートにも会った。これは、誰の子だったか。正直色んな人と会い過ぎて、誰が誰だか、分からぬのである。

この企業向けの広告用品店で、椅子を勧められて座った。ここでお茶を飲んだと思う。お茶は、茶葉がコップに直接入っていた。これが美味しかった。少なくなると、すぐに注いでもらえるので、沢山飲んでしまった。

ちょっとこの辺りから、何が起こったか、忘れてしまった。しかし、最も重要な事は覚えている。それは、親戚を集めての結婚披露の席が、翌日か、翌々日の昼頃に行われた事である。

親戚の共産党員のお兄さんと一緒に、お酒をお盆に載せて、親戚の中を注いで廻った。中国風の丸い、大テーブルを囲んだ人達の中を、お酒を注いで廻るのだ。中国の習慣との事である。二人の名前入りの水筒も配った。これは結婚記念の品である。

親戚が車で帰っていくのを、フェンと二人で手を振って見送った。これも中国流の礼儀である。

この集まりで食事をした二階の席の窓から外を見たら、建物の傍で鶏が飼ってあった。玄関を出た所でも、解体した犬か何かの動物を見た。

ちょっともう出来事が起きた順序を忘れてしまったが、他に、田舎に住んでいる親戚にも会いにいった。この時にフェンから聞いたと思うのだが、中国では、名字が同じで、近くに住んでいる人は、血のつながりがなくても、結婚式に呼ぶのだと言う。

 それで、かなり田舎に行ったが、そこの人も、血の繋がりはあったか、なかったか。まぁそういう人も親しく付き合うのだから、中国の親戚付き合いの濃さが分かる。この旅行中、僕は1回も中国のお金を払わなかった。ずっとフェンの家族が払っていた。すごく恐縮したのだが、こういう親切を断るのはおかしい、必ず受けて、感謝する方が良いと思ったので、有難く受け取った。

さて、話を戻すと、その親戚の住んでいる所に行くと、家が煉瓦で出来ており、家を囲う壁は石の壁であった。そして、犬がいて、玄関を入ると吠えた。

ここでお婆さんに会った。子か孫が日本に行ったと言う。でも、ちょっと日本語を学んでいっただけなので、苦労しているらしい。昨日もやりとりをしていたと言っていた。

お婆さんは、結婚のお祝いか、お小遣いといった感じでお金をくれた。フェンに断わるように言われて、テーブルの上にそっとお金を置くと、気付いたお婆さんが、すごい勢いでポケットにお金を突っ込んでくる。このお金は、お婆さんと別れる時、フェンのお母さんが車の窓から、見送りをしていたお婆さんに投げた。

日本でも、どちらがお金を払うかで、レストランのレジで揉める事はある。でも、ここまではない。それで印象に残った。

それから、孔子の故郷である山東省の魯、曲阜という所に行った。今は観光地になっている。写真を撮りまくった。親戚の双子の少女が一緒に来たいというので、一緒に見て回った。孔子のいた時代の様子を再現した所を見た。

この双子と、あともう一人親戚の子と仲良くなり、帰る前の日は一緒に遊んでいた。

 

結局中国には、7日間いた。9日間の旅行で、最初と最後の1日は、飛行機に乗っていて、ほとんど何もしていない。

旅行の最中は、全部旅先の親族がお金を払ってくれた。ホテルも、毎日の食事も、全てである。別れ際、フェンの母親、つまり義理の母が言っていた。「子供が出来たら、また来い」と。僕は頷いて約束した。それが、僕は彼女の最も言いたかった事であるように感じた。だから、僕にとって、それは最も大切な約束である。

自分はたくさんのお土産を貰って、帰途に就いた。