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野狐消暇録

所感を記す

出光美術館「日本の美・発見X 躍動と回帰 ―桃山の美術」展を観に行った。

好い天気で、有楽町駅周辺は人出があった。シルバーウィークの最初の日だ。

帝国劇場の前に来ると、アイドルの劇の大きな張り紙があった。ジャニーズが出ているようだ。幾人かの若い女性のグループが劇場前にいて、写真を撮ったりしていた。自分は写真を撮る妨げにならないように、彼女らの後ろを通り、劇場の入口の隣にある、出光美術館の自動ドアの前に立った。

財布を広げると、中には観覧に充分なだけのお金があった。エレベータの近くに良い身なりをした男性が立っており、自分が自動ドアを入ると、昇りのボタンを自分の代わりに押してくれた。

出光美術館は、何度も来ている。国文科の学生の時、授業で書の展示を観に行った事もある。

ライトを落とした、静かな受付に、数人の女性スタッフが落ち着いた服を着て座っていた。チケットを買い求めて、展示ルームに入った。

自分は学生時代茶道研究会でお茶を点てていたのであるが、展示品は、自分がかつて茶道具の本で見た事があるような、価値が高い品ばかりだった。

もちろん、本で見た事のない展示品も多く、とても楽しい時間だった。

マンガで織部を主人公にした「へうげもの」というものがあるそうである。自分はその作品を読んだ事がないが、作品の存在は知っていた。展示品を見て回っていたら、織部焼の説明の中に「『宗湛日記』に『へうげもの也』とある」とあった。それで、マンガ「へうげもの」の題名の由来はここかなと思った。しかし、確認はしていない。

織部焼は見ていて楽しい。作成された当時「へうげもの」と宗湛が記したという事は、当時の認識として、遊び心のある、おどけた感じとして受けとめられていた事になるが、そう思って観てみると、確かにそう見えてくる。

今回の展示を見るまで、自分の織部焼に対する認識は、大きな歪みと、印象的な緑色の釉薬であった。あとは、図案のようなものが筆で書かれていて、大体その筆の色が焦げ茶色、というぐらいである。

今回展示された織部焼を見ていて、新たに気付いた事がある。それは、器の縁が垂直で、器の底が水平になっており、縁と底が垂直に交わるという事である。鳥をモチーフにした器が5,6個のセットになっていたが、それなどは、縦に重ねると、綺麗な柱ができそうであった。実際には、工業製品のように、綺麗に作られていないから、重ねる事はできないかもしれないが、印象としてそう感じた。

この事と合わせて述べたい事は、利休が作った茶杓についてである。一体、当時から評価の高い利休が作ったとはいえ、あんな小さな茶杓がちゃんと今に伝わっているというのはすごい事であるが、それは一旦脇に置くとして、その茶杓、抹茶をすくう匙の部分と手で持つ柄の部分が、やっぱり割とはっきり曲がっている。ゆったりしたカーブではなくて、結構鋭角に曲がっているのである。匙の部分は真直ぐしていて、柄も途中にある竹の節の周りを除けば真直ぐである。だから、極端に言えば、一本の竹を細く削り出し、匙と柄を分ける部分に何かを当てて、ぐっと押し曲げたような具合に見えるのである。

この二つの直線、織部焼の直線と利休の茶杓の直線を見て思い出すのは、茶道に詳しい仏教学者、久松真一の著書「茶道の哲学」に確かあったと思うのだが、茶道は直線的であるという指摘である。和様の書にみられるような優美な曲線が茶道にはないという話である。自分は読んだ当時、正直あまり分からず、「詳しい人がそう言うのだから、まあそうなのか」位の曖昧な感想であった。しかし、今回見た茶道具については、確かにそうかなという感じがある。

以前自分が久松氏の主張に疑問を抱いたのには、訳がある。

茶道で掛け軸にかける墨跡は、楷書ではなく草書なので、曲線がたくさんある。茶道具は歪んでいるものの方が茶道らしいとされるため、これも曲線がたくさん見られる。そうなると、「茶道は直線的である」という指摘の反例がたくさんある事になる。これはおかしいと思い、納得がいかなかったのである。

今では、単なる傾向の指摘であり、全て直線で構成されるとしているのではなく、指摘のポイントは「茶道は王朝文化的な優美さとは違う文化である」という事だと考えている。

それからもうひとつ、様々な工芸品を見ていて思ったのは、やはり工芸品は道具であるという事。あくまでも、生活空間を作る物のひとつとして、その品がある。その美術品ひとつで、何かの世界を作るのではなく、生活空間の一部に品物が溶け込み、茶道なら茶道の世界を作る。茶道の世界を作るための、登場人物のような感じだ。

多分、その世界では、人間も一個の登場人物であり、ある意味で、工芸品と等価なのではないかと思う。人と物が平等の世界なのかもしれない。

これは、ちょっと現代の政治状況もあって思ったのだが、茶道が流行った当時は、戦乱の末期であった。当時の武将は、他方で戦をしながら、他方で茶道をやる。ちょっと矛盾しているようだが、やっぱりこういう世界が欲しかったんだろうな、と思った。分かるな、と。

利休のような町人は、そういう事はなかっただろうが、武将は戦をする事がある。戦ばかりでは、とても息がつけないだろう。殺伐とした世界に生きていた武将が、こういう安息の地のような物を作って楽しむというのは、如何にも理解できる事だ。

もう当時から400年以上経っているが、僕は当時の人の気持ちが分かるように思う。

個々の展示品に対する感想もあるが、切りがないので、この辺でおしまいにする。