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野狐消暇録

所感を記す

女性とご縁がない。

どうも結婚できそうにないので、困った。

しかし、今日思ったのは、こういう事だ。

人を愛するという事を、もっと広く考えたい。

例えば、この間、人口問題を調べたら、途上国で人口が増えているという。女性一人当たり、平均で5人子供をもうけるとその記事にあって、すごいな、日本と偉く違うなと思った。しかし、そういう国では、貧困により、子供が働かざるをえない状況があるという。もちろん、働くことはいけないことではない。しかし、家の手伝いとかそういう事ではなくて、子供がこき使われるという事は、また別の話だ。ちょうど日本に技能研修生で来た人がこき使われているのに近いだろうと思う。

それで、気の毒に思った。そこで考えたのだが、そもそも、自分が結婚するのは、自分の幸せのためにそれでいいと思う。しかし、子供という事を考えると、自分の年齢だと、おそらく子供はできないだろう。しかし、それは残念ではあるだろうが、今、現に生まれていない子供の事は、まぁある意味で、どうでも良いとも考えられると思う。それは、今もうこの世に生を受けていて、困っている子供の事を考えると、そう思うのである。

それで、これは自分にもしお金に多少余裕があるなら、少し、信頼できる団体を通じて、寄付を行うという事も有りかなと思う。

つまり、現に生きていて、困っている子供に対して、できる事をするというのも、愛情の表現かもしれないなと思ったのである。

人は愛されたいとも考えるのであるが、愛したいという事も、同時にあると思う。それは決して傲慢ではない。人を愛するというと、そこに上下の関係を見て、愛する方が愛される方を見下しているかのように考える人もいるかもしれないが、僕はそう考えないのである。

例えば、医者というのは、患者の病を治している。これは普通に言われる愛情とは違うが、人を救っているという点で、愛情の表現として考える事ができるのではないかと思う。この時、医者は地位が多少高く見られることもあるが、基本的には、上下の関係というのは、ないのではないかと思う。患者の方が、医者よりも格下であるとは思えないし、みんなそんな風には思わない。

だから、愛情という事に、上下の関係を見ずに、相互に愛情を持つという事があり得ると思う。

自分は愛情の表現という事を、単に家庭というひとつの形に限定するのではなく、広い可能性として考えて、自分なりに道を見い出したいと思っている。

それが今日考えた事である。