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野狐消暇録

所感を記す

尾崎放哉 - アルコール中毒の怖さ -

尾崎放哉は学生の頃から知っている俳人だった。そういうと、知り合いのように聞こえるが、無論違う。尾崎放哉は大分前に小豆島の小さな庵で亡くなっていて、面識はない。知っているというのは、放哉が詠んだ俳句を読んだ事があるという意味だ。

咳をしても一人

印象的な句だ。五七五ではない事にすぐに気付くが、これも俳句の一種で、自由律と呼ばれている。尾崎放哉は五七五の句も作ったが、自由律の句で知られている。

他にも句がたくさんあるが、ここでは触れない。ここで取り上げたいのは、尾崎放哉が酒で身を持ち崩した事についてである。

尾崎放哉は、若い頃に飲酒を始め、やがて飲み屋に借金を作るようになった。そして会社を首になり、逃げるように寺暮らしを始める。しかし寺暮らしにも馴染めず、寺を転々とするうち、縁あって小豆島の庵に住みつき、わずか41歳で亡くなった。

僕は医者ではないから、診断を下す権利はないが、聞き齧った知識から素人なりに推測するに、放哉はアルコール中毒だったのだろう。

アルコールというのは、毒物の一つではないだろうか。昔から飲まれているから、慣習的に認められているだけで、本来薬品などと同様、専門家以外触れるべきでないのではないかと思う。

しかしわが身を振り返ると、毎日飲酒する習慣こそないものの、人と会うと大概酒を飲む。相手が飲まなくても、僕は飲む。酒自体が好きなのではなく、酒があるような場を作るというか、そういう席が好きだからだと思う。所謂機会飲酒というヤツである。僕は酒そのものが好きな訳ではないから、明日から酒のない世界になっても、一向に平気である。そもそも人に会って飲むのも、「そういうもの」「そういう寛いだ席」だからというのが大きいと思う。なければないで、困らない。僕は人に会って、連句を作って遊んだり、大喜利をしたりして、何時間も遊ぶ自信がある。僕はお茶だけで平気だ。喋りたいだけ喋らせてもらえるなら、ずっと喋り続ける事ができる。

それで充分楽しいのである。

駄弁という言葉があるが、僕はこの駄弁というのが好きで、ずっと駄弁を聞いていたい。本を読んでも、随筆というのが好きである。筆者が勝手な事を書き、それに読者が感心したり、馬鹿だなと思って笑ったりしているうち、時間が過ぎて、最寄りの駅に着いて本を閉じ、下車する。そういう、電車で暇つぶしに読むような本は如何にも楽しい。真剣な話を聞きたくない時、随筆はぴったりだと思う。

歴史の本なども、中身を真面目に取ろうとすれば、これは実際にあった事でもあり、そう軽々しく扱うべきではない。しかし、自分の住む時代から離れた時代の話という意味では、実際的な関心から離れており、僕の分類では駄弁に属する。だから、歴史の話というのも、一旦我が身と離した上で、もう一度、その内容に思いを馳せて考える、そういう点で、随筆的な所がある。この、ちょっと引いてから見るというのが、随筆である。普通随筆では、それほど大きな事件というのは起こらない。そもそも、事件を扱う事がほとんどない。

例えば、有名な夏目漱石の小説『吾輩は猫である』を考えてみよう。この小説は創作であり、事実ではないが、筆致は随筆的である。この小説は猫の視点から語られるが、果たして『吾輩は猫である』の主張だの、事件だの、起承転結だのを話せる人がいるだろうか。いないだろう。なぜなら、そういうものが『吾輩は猫である』にはないからである。これが随筆の特徴である。また、歴史というのも、これに似ている。歴史と言うのは、様々な出来事から成り立っており、各々繋がりがあるにはあるが、全体を通した筋立てというのもなく、ましてや主張だの、起承転結だのはない。それは個々の出来事については見い出せようが、それは歴史上の一事件に過ぎないのであって、歴史そのものは大河の如く流れているに過ぎない。そういう種類の、日記とか、旅とか、俳句もそうだが、繋がりはあるけれども、物語はないような話があって、随筆もその一つであり、僕が愛好する文学である。

そんな訳だから、僕は酒がなくても困らないが、放哉にとっても、酒がない方が良かったと思う。今、お酒を世の中からなくそうとしても無理だろうから、酒を禁止すべきとは思わない。また、自分も機会があれば酒を飲むと思う。しかし、放哉のような不幸な例をなくすために、考えねばならない。また、酒飲みを笑ってはならない。あれは病気であり、飲酒という不幸な習慣が生んだ犠牲者なのだ。自分はたまたま体質的にか、趣味嗜好的にか、酒好きにならなかったのが幸いしただけで、元々毒物なのだから、それにやられる人間が出るのは当然と言えば当然だ。

こういう事は医者が啓蒙したり、あるいは個人で自覚したりして、対策を取るべきだと思う。放哉の句は印象深いが、余りにも不幸な人生に同情し、その気持ちをここに記す。