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野狐消暇録

所感を記す

『休戦』を読んで

読書

『休戦』はプリーモ・レーヴィというイタリアのユダヤ人が書いた作品である。これはドキュメントであって、創作ではないが、文学的な効果を狙っているから、ただの記録ではない。

本書は、かの悪名高いアウシュビッツ強制収容所に入れられた著者がそこを生き延び、イタリアに帰還するまでを描いている。

私は日本人で、日本に暮らしている。安倍政権が政治を行っていて、その政治は外交的には強硬なものである。それであるから、自分はこの『休戦』に心の慰藉を求めたのである。自分は戦争が嫌いな人間であるから、第二次大戦のドイツの敗北、ヒトラーの死、そういう出来事が書かれた本書が、今の自分の政治に対する鬱憤晴らしになったのである。

しかし、読書が終わりに近づくに連れて、私は思い出したのである。それは日本がかつてドイツのヒトラーと同盟を結び、世界戦争を戦った事である。

もし、プリーモ・レーヴィが生きていて、目の前にいたら、自分はレーヴィが憎んで止まないドイツ軍の仲間なのである。僕の気持ちは、全然旧日本軍に対する共感がないにも関わらず、国籍の上では間違いなく日本人なのである。

その事が、段々本の終わりが近づくに連れて、自分に圧しかかってきた。

僕は何をレーヴィの前で言えば良いのだろうか?

謝罪だろうか?

彼は僕が第二次世界大戦の時には生まれていない事を見て取り、そんなことは求めないだろう。

レーヴィは理性を失わない人間であって、無関係な人間に感情的な謝罪を求めたりする人間ではないのだ。

しかし、また仏様の如く、全てを赦してにっこりと笑うような、人間離れした人でもないのだ。

つまり、全くごく普通の人間であるから、自分はなんと口をきいたらいいか分からないのである。

しかも、これは、今外国に住んでいるすべての人と自分との関係を代表する気まずさである。僕は日本人であり、日本に暮らしており、安倍政権を信任した国民の一人なのである。僕が右翼を嫌っていて、ヒトラーを憎んでいても、それがなんだというのか。

つまり、そういう事なのである。