猫に変身すれば無暗に愛され
ゴキブリに変身すれば無暗に殺され
おじさんになれば無暗に嫌われる
しかし、結婚しているおじさんこそ真の幸せ者である
おじさんを愛する人がそばにいるのだから
人が怒りを煽るとき
私は落ち着くように言い
人が嘘で騙すとき
事実を確認するように促し
人が支配を目指すとき
他者への奉仕を説き
人が収奪を試みるとき
与えることの尊さを伝え
人が残酷さを誇るとき
同情する心を呼び起こし
人が反対者を黙らせようとするとき
批判の自由を守る
彼らは強く、他を圧倒する。
私は無力で勝つことはない。
だが見ろ、彼らが強いのは次々に敵が生まれるからだ。
私は無力だが、敵はいないではないか。
正しい道にはなんの力もない。敵無き道は力を持たぬ。
最初は割と難しい。すぐに死んでしまって、なかなかクリアできない。コツをつかむと、全8ステージの一ディスクを10分前後でクリアできるようになる。しかし、そこに至るまではそれなりに時間がかかるので、最初は同じステージを何度もやり直すことになる。
このプロセスで心が折れて、何度かプレイしかかったものの、挫折してしまっていた。しかし、やっていないゲームがあるまま、次のゲームを買うのはもったいないと思い、重い腰を上げてプレイしていた。
すると、なんとか最後のクリアまで行きつくことができた。
4ディスク目の船から脱出するディスクで、後半に「下船」「出会い頭」というステージがある。ここが特に難しく、「出会い頭」をクリアするのに1時間半もかかった。この、大して対策があるわけではないのに何度もチャレンジするのがきつい。
ああしよう、こうしようという試行錯誤がそんなにできないのできついのである。
敵で強いのは、爆弾男である。こいつが突き飛ばして近くの壁にぶつかると爆発し、この爆発に巻き込まれるとそれだけでミスとなり、ステージの最初からやり直しとなる。
そこそこスペースがあるところで出会えばなんとかなるが、1ディスク目の遮蔽物が多いステージで出会うと、パッと見た瞬間突き飛ばしてしまい、爆発に巻き込まれることがままあるのである。
基本的に遮蔽物が多い方が有利なのであるが、爆弾男に関しては逆に不利になるケースがあるのである。
まず押さえるべきは、敵を殲滅する必要がないという点である。自分はこのゲームの前にたまたま「ゼルダの伝説 ティアーズオブキングダム」をプレイしていたので、なんとなく各個撃破のスタイルで敵を全員倒そうとしてしまっていた。
だが、このゲームはわずか3ダメージで負けてしまう。そして、ゴール地点に辿り着けば勝ちなのであり、敵を全員倒す必要はもともとない。
なので、うっかり敵を倒そうと深追いすると、ダメージを受ける機会がそれだけ増えてしまう。敵を倒しても基本的には何もいいことがないので、「平和主義」でゴールを目指すのが正解である。
敵とステージはある程度ランダム生成になっており、固定で敵が出てくる箇所もあるが、予め配置を記憶するという感じではない。なので、場合によってはすぅっと走っていくだけで、敵に会わずに進めてしまうケースもある。そしてそれは一番ありがたいパターンである。
火炎放射器は射程が短く、更にゴリラを追いかけて向きを変える速度が遅い。そのため、火炎放射器兵を見つけたら、多少の距離さえあれば、脇を走り抜けることができる。突き飛ばそうとして近づくとダメージを受けやすいので、なるべく無視して走り抜けるのが正解である。
もし火炎放射を食らってしまったら、ゴリラが一定時間燃えるので、まわりの兵士が逃げ始める。これはちょっとした無敵状態なので、なるべく距離を稼ぐのが良いと思う。まぁ、これはわざわざアドバイスするまでもないと思うが。
身を隠すところさえあれば、銃弾を避けることができる。もっと極端に言えば、囲まれなければ勝てるのだ。大体、4,5人と遭遇して、四方から銃弾が飛んでくる状況になれば、1,2発は食らってしまう。広いところに出れば、こういう状況に陥る危険性は高くなる。基本的には隠れながら戦うと良い。
敵はいきなり撃ってくるのではなく、出会って一定時間経ってから撃ってくる。出会ってそのまま敵に突進して突き飛ばせば、基本的には撃たれる前に突き飛ばせる。ただし、火炎放射器兵は別で、これは間に合わないかもしれない。割と火をさっさと出し始めるから。
要は、相手の行動が始まるまでの時間が体感で分かってくると、逃げるべきか、突進すべきかが分かるのである。あ、そろそろ来るなと思ったら、遮蔽物に隠れる、というアクションも取りやすくなる。これは自分の体感では一定時間で決まっているので、この時間を把握するだけで勝ちやすくなると思う。
後半ステージにコンテナが出てくるが、なぜか最初はこいつの中に隠れることを忘れがちである。そもそもコンテナの中から飛び出すところからステージが始まるので、分かりそうなものだが、忘れちゃうんである。コンテナの中に隠れて、ステージの先の方を偵察すれば、取るべきアクションが見えやすい。特に「下船」「出会い頭」では、コンテナを使うことを忘れないようにする。
一発食らうと血が点々と残るようになる。これが1ダメージを受けた状態。二発食らうと、血痕が大きくなる。もう一ダメージ食らったらミスとなり、ステージ最初からやり直しである。ステージを突破すると、ダメージがクリアされ、血痕を残さない状態に戻る。
すぐ近くの兵がなぜか突き飛ばせず、兵士の周りをぐるぐる回ってしまうことがある。こういう場合は、掴んでしまった方が良い。近くの兵士は突き飛ばしには失敗しても、掴むことには失敗しないので。ただし、爆弾兵には注意だ。掴んでいるときに撃たれると爆発してミスになる。
大分前のゲームなのだが、あまりレビューがネット上に無い気がしたので書いてみた。「難しい~」と思っても、最終的にはわりと簡単にクリアできるようになる。それが面白いので、暇な人は手を出してみるのもありかと思う。
中国やロシアを筆頭に、情報統制が色々な国で行われている。
中国は中国共産党への批判が禁じられているらしい。ロシアでは、戦争を批判すると目を付けられるという。政府批判も捕まったり、殺されたりするらしい。
最近ではドイツでイスラエル批判が禁じられ、ガザでのジェノサイドに声を上げることを政府が禁じた。アメリカではイスラエルとガザの戦争で、イスラエルを批判することはユダヤ人批判であると決議したと聞く。
日本では、東日本大震災の原発事故のとき、事故の発表が事故の発生からかなり遅れて公表されたことを覚えている。
これらの情報統制を考えたとき、一つの共通点を指摘できると思う。それは、批判されると困ることがあるとき、政府は情報統制を行う、ということである。批判されても、いくらでも反論できるようなことについては、別に統制などしない。反論すればみんな納得してくれるし、納得してくれない人がいても少数であり、主張を通すことができる。
これに対し、公に議論すると負けそうだが、どうしても自分達の意志を通したいとき、政府は言論の統制を始める。批判を封じ、都合の悪い事実の報道を禁じ、場合によってはデマを流布して世論の誘導を図る。
こうなってしまうと、情報統制下にある人は事実に基づいて考えることができないし、できたとしても意見を公表できるのは一部の勇気ある人に限られるので、政府は意志を通すことができる。人は政府にとって都合の良い情報だけしか知らないので、政治判断は自ずと政府の意図する結論に向かいがちである。
しかし、これで良いのか。
人は事実に基づいて物事を考えねばならない。また、批判には聖域を設けず、どんなものに対しても、健全な批判が生きていなければならない。
批判の自由こそ、真の自由である。これは自分の尊敬する仏教徒である久松真一の言葉であるが、この言葉を思い起こさずにはいられない。
まず、政府は言論の自由を確保し、人が自由に議論できるように努めるべきである。そして事実を事実として知ることができるようにし、健全な理性が常に生きている社会を維持しなければならない。そうであってこそ、常に新しい社会でいられるのだ。
日本は前に進んでいるであろうか? 進んでいる分野もあるが、停滞している分野もある。再生可能エネルギーの分野は遅れている。奇しくも、情報統制が行われた、原子力発電はエネルギー政策の分野である。これは偶然であろうか?
批判のないところには停滞が待っている。そのことを忘れてはならないのである。
研究、開発、発見、創作、工夫といった、開拓的領域に力を入れていきたいというのが、大筋の方向である。
今まで自分が何かしら仕事について努力するとき、「自分自身にとって、何がステップアップになるのか」を基準に努力する内容を考えてきた。
そうした考えは今でも正しいと思っているが、ただ単に技術力の向上を目指すという方向性には「きりがない」ような感じがし、いまいちピンと来ていなかった。それはそれで必要なことだが、自分が乗り切れないところがあった。
昨日、たまたま妻と川崎駅のそばを散歩しているとき、ふいに研究者や作家に憧れていた若いころの頃を思い出した。あの頃は、自分に自信が無く、また自分がちゃんと働けるかどうかも分からず、「仕事をしながら何か創作をしたい」と思ったものの、実際にはあまり活動できないまま、ここまで来てしまっていた。
結局、就職してからできるようになったのは仕事であり、創作ではなかった。
しかし、裏を返せば、わりと仕事が一通りできる状態ではある。となると、今から研究、創作というような領域に力を入れていくのは良いな、と思った。
情報技術の勉強も、そういう、新しい活動の一部としてやってみたらどうだろうか。
今後仕事を探すに当たっても、ただお金をたくさんもらえる仕事を探す、ではなんとなく自分の気持ちにしっくりこない。何か自分にとって、面白そうだと思える仕事に就けるのは一番良さそうに思う。
そのためには、自分にとってのチャレンジがないとダメだ。
かなり漠然としてはいる。しかし、漠然としているからこそ、方向性として有用なのであり、具体的では逆に困ってしまうのが指針というものではないかと思う。
活動の方向には、ある程度の抽象性が必要である。具体性ではなく。
日が暮れる頃、妻を誘って近所の金剛寺にお墓参りに行く。
地図で見ると25分程度で着くはずだが、途中でコンビニに入ったり、ベンチで休んだりして、寺に着いた頃には夕闇だった辺りがすっかり暗くなっていた。
門が5時で閉まってしまったので、門の外から境内のお墓に向かって拝んだ。
しばらく手を合わせてから顔を上げると、妻の目が心なしかうるんでいた。
歩き疲れてしまったから、引き返すのは止して、鶴見駅に向かうことにして橋を渡った。隣の橋をごとごとと電車が渡っていく。妻はこの橋に爆弾が落ちて、川に落ちたら死ぬだろうかと聞く。
「溺れるかな?」
「海のように深いわけではないけど、人には深いよ。足が付かないよ」
豊岡町に住んでいた頃、時々食べに行っていたイタリア料理のクスクスに行くことにした。途中で総菜を「アラカルト」で買い、クスクスに着くと、予約客でいっぱいであった。
しょうがないので、モスバーガーに入った。あまりにもお腹が空いていたので、モス野菜バーガーと照り焼きバーガーを食べた。付け合わせはオニポテとメロンソーダ。
なんだかんだで充実した休日なのかもしれない。お盆に行き損ねたお墓参りも行けたし。
電車に乗って家に帰った頃にはもう相当に眠かった。寝室ですぐに寝た。